日本国内では14年ぶりとなる村上の大規模個展で、全作品が日本初公開という。
目玉は、絵画史上最大級という高さ3メートル、全長100メートルに及ぶ「五百羅漢図」。東日本大震災にいち早く支援の手を差し延べてくれたカタールへの感謝を込めて、震災の翌年2012年に首都ドーハで発表されたもの。
目玉は、絵画史上最大級という高さ3メートル、全長100メートルに及ぶ「五百羅漢図」。東日本大震災にいち早く支援の手を差し延べてくれたカタールへの感謝を込めて、震災の翌年2012年に首都ドーハで発表されたもの。
村上隆はもともと漫画家とかアニメーターになりたかったという。しかし、本人の弁によればそれがかなわずに東京芸大に入学し、日本画初の博士号まで取得している。その後も漫画への思い入れを捨てることなく、現代美術と日本の伝統絵画、ポップカルチャーまでを交差させた独自の世界をつくり出した。
「五百羅漢図」は江戸時代後期の絵師、狩野一信の「五百羅漢図」に触発されたという。
羅漢は釈迦の弟子として悟りを開き、人々を救済する存在として長く信仰されている。
一信は、さまざまな過去の作例を踏襲しながら、2幅に10人ずつ、合計500人もの羅漢を描く100幅もの大作に挑戦。完成まであとわずかというところで没してしまうが、残りの4幅は残された妻や弟子らが補筆して完成。文久3年(1863)、増上寺に奉納されたという。
羅漢は釈迦の弟子として悟りを開き、人々を救済する存在として長く信仰されている。
一信は、さまざまな過去の作例を踏襲しながら、2幅に10人ずつ、合計500人もの羅漢を描く100幅もの大作に挑戦。完成まであとわずかというところで没してしまうが、残りの4幅は残された妻や弟子らが補筆して完成。文久3年(1863)、増上寺に奉納されたという。
村上の展覧会場にも一信の2幅の「五百羅漢図」が展示されていたが、そのうちの第50幅、月光の下で羅漢たちが瞑想していて、深遠な世界が見事に表現されていた。なかなかの作品。
展覧会場には制作過程の資料や映像も公開されていた。
どういう技法で作られたか、というのも興味深い。
3000枚のシルクスクリーンを使い、その上に手書きで色を加えたという。下絵や版を作る過程ではコンピュータ・グラフィックスも活躍していたようだ。
どういう技法で作られたか、というのも興味深い。
3000枚のシルクスクリーンを使い、その上に手書きで色を加えたという。下絵や版を作る過程ではコンピュータ・グラフィックスも活躍していたようだ。
25mずつ4つのパートに分かれていて「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の名前がつけられている。
それぞれまったく違う背景の上に描かれていて、青龍は海、白虎は炎、朱雀は宇宙、玄武は雲の世界を表現しているとか。
それぞれまったく違う背景の上に描かれていて、青龍は海、白虎は炎、朱雀は宇宙、玄武は雲の世界を表現しているとか。
展覧会の入口。撮影オーケーというのでパチパチ撮る。
白虎。紅蓮の炎の中に佇む羅漢たち。とにかく巨大な巻物のように長い。
夢を食べるというバクを描いたものだろうか。
ネコかと思ったら白虎だった。
炎がすさまじい感じ。
青竜では巨大な竜がのたうち回っている。曽我蕭白からインスピレーションを得たのだろう。
途中の部屋には制作過程の資料が展示されていて、中には村上隆が書いたと思われるメモが・・・。
雲をバックに描かれた玄武。
ヌッペホフみたいな怪物?
とにかくどれもデカイ。
宇宙の中にいる羅漢たち。
羅漢図とは違うが、鎌倉時代に描かれた「阿弥陀二十五菩薩来迎図」を踏襲したという作品(しかも制作途中)。色っぽさといい、長いつけマツゲといい、どうみても淡谷のり子だ。
帰りに六本木ヒルズ向かいのそば屋「くろさわ」で遅い昼食。相変わらず男衆のきびきびした対応がいい。
生ビールと豚のすき焼き。
ざるそば。
田舎そば。
そういえば新そばの季節だった。
白虎。紅蓮の炎の中に佇む羅漢たち。とにかく巨大な巻物のように長い。
夢を食べるというバクを描いたものだろうか。
ネコかと思ったら白虎だった。
炎がすさまじい感じ。
青竜では巨大な竜がのたうち回っている。曽我蕭白からインスピレーションを得たのだろう。
途中の部屋には制作過程の資料が展示されていて、中には村上隆が書いたと思われるメモが・・・。
雲をバックに描かれた玄武。
ヌッペホフみたいな怪物?
とにかくどれもデカイ。
宇宙の中にいる羅漢たち。
羅漢図とは違うが、鎌倉時代に描かれた「阿弥陀二十五菩薩来迎図」を踏襲したという作品(しかも制作途中)。色っぽさといい、長いつけマツゲといい、どうみても淡谷のり子だ。
帰りに六本木ヒルズ向かいのそば屋「くろさわ」で遅い昼食。相変わらず男衆のきびきびした対応がいい。
生ビールと豚のすき焼き。
ざるそば。
田舎そば。
そういえば新そばの季節だった。
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