善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

キトラ古墳壁画

きのう、18日まで東京国立博物館で開催中の「特別展 キトラ古墳壁画」を観てきた。
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中に入ると、ゆるキャラのトーハクくんとユリノキちゃんがお出迎え。
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共催している朝日新聞がデジタル読者を対象に内覧会の参加者を募っていて、応募したら運よく当選した。
12日は月曜日で休館日。朝日主催の内覧会だけに開放されたので、会場はガーラガラ。おかげで並ぶこともなく、人にじゃまされることもなく、たっぷりと見ることができた。

今回、展示されているのは、「四神」のうち朱雀、白虎、玄武、それに、獣の顔と人の体を持つ「十二支像」のうちの子(ね)と丑。1983年の壁画の発見以来、明日香村以外で公開されるのは今回が初めてであり、そしておそらく東京で観られる最後になるだろう。

写真では何度も目にしたが、やはり本物は違う。
高松塚古墳の壁画は保存・修復に関して対応が後手に回ったとか、いろいろ問題が指摘されたものだが、キトラ古墳壁画の保存・修復もかなり大変なようで、壁画はかなり劣化した状態で、色ははげ、線もかすんでいるところが多いが、躍動する姿は本物ならではのものだ。

複製陶板も展示されていてなかなか見事なものだったが、どうしたって本物にはかなわない。
間近でみると、千数百年前、狭い石室内で描かれた生々しいタッチがありありと浮かび上がってくるようだ。

「キトラ」の名前は諸説あって、古墳がある地域の「北浦」が「きとら」となまったものという説と、亀(玄武=北)と虎(白虎=西)の壁画を見た人の伝承が「亀虎(きとら)」として残ったものとする説があるという。

墓が作られ、壁画が描かれたのはいつの時代かというと、7世紀末から8世紀初めではないかといわれている。
四神壁画の発祥地は中国。また、中国の影響を色濃く受けた朝鮮半島にも四神壁画が数多く存在する。
今回は展示されていないが、石室の天井に描かれた「天文図」は、「北緯38・4度の場所から見た空」との説があるという。朝鮮半島北方の高句麗の首都・平壌から見た空なのだとか。その後、修正が加えられて、「37・6度」の百済の首都・漢城(ソウル)から見た空ではないか、ともという。
とすると、朝鮮半島からの渡来人がキトラの天文図を描いたのだろうか。

四神壁画はモンゴルの「オラーン・ヘルム墳墓」でも見つかっている。ウランバートルの西約180キロの草原にある突厥(とっけつ)時代の円墳で、7世紀ごろといわれる。
ただし、白虎の描き方は表情や体の模様などキトラとはかなり違っているという。

中国を源流としつつ、それぞれの地で独自の“味付け”が加えられたのだろう。

古代への空想を膨らませてくれる展示会だった。

と、ここまで書いたところでグラッとかなり強い地震があった。
東京は震度3と速報されたが、もうちょっとあった感じ。
このところ東京近辺の地震が多い。