善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

戦後70年の公園にて

終戦記念日(今年で70回目)朝の善福寺公園は晴れたり曇ったり。木陰のあたりは涼しいが、日向は蒸し暑く、汗をかく。

きのうの安倍首相談話にはがっかりというか怒りを覚える。
冒頭で、彼の歴史認識如実にあらわれていた。

彼は言う。
百年以上前の世界には西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていて、植民地支配の波はアジアにも押し寄せた。その危機感が日本にとって近代化の原動力となった。
アジアで最初に立憲政治を打ち立て独立を守り抜き、日露戦争は植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた。

世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかり、人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出した。戦争自体を違法化する新たな国際社会の潮流が生まれた。

当初は日本も足並みを揃えたが、世界恐慌が発生し、欧米諸国が植民地経済を巻き込んだ経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受け、その中で日本は孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようと試みた。国内の政治システムはその歯止めたりえなかった。
こうして日本は世界の大勢を見失っていき、満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は次第に国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行った。そして70年前、日本は敗れた。

ここには、日本が中国、アジアを侵略したとの認識もなければ、植民地支配への反省もまるでない。

「わが国は、遠くない過去の一時期、植民地支配と侵略によって多くの国々とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と単刀直入に語った村山談話とは根本的に違う。

先の戦争で何が間違っていたのかというと、それは侵略でも植民地支配でもなく、「国際秩序」への「挑戦者」になったのがいけなかった、外交的、経済的な行き詰まりを力の行使によって解決しようとしたのがいけなかった、と安倍首相はいっているわけで、先の戦争が侵略戦争だったとは微塵も思っていない。
むしろ欧米諸国の植民地支配に対抗して日本は大いにがんばったと自画自賛している。

これでは、彼がいくら「平和」とか「反省」を口にしようと、口からでまかせであることは明らかだろう。
日本国民はトンデモナイ首相を持ったものだ。

気を取り直して公園を歩く。
上池に首を伸ばすゴイサギの幼鳥(ホシゴイ)。
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下池でシラサギが2羽仲良く並んでいたのでカメラを向けると、1羽がサッと飛び立つ瞬間。
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上池でも下池でもトンボが目立つが、ひところ多かったコシアキトンボはまるで姿を見せず、きょう目にしたのはシオカラトンボばかりだった。
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