善福寺公園めぐり

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知の巨人 荻生徂徠伝(再掲)

ダブりますけどもう1回。

佐藤雅美『知の巨人 荻生徂徠伝』(角川書店)を読む。

別に荻生徂徠に興味を持ったからではなく、佐藤雅美の時代小説ファンとして手にとったにすぎないが、なかなかおもしろかった。

さすが小説家だけあって読みやすく書いていた。ただし、フィクションを加えてはいけないとの配慮からか、ドラマチックさはイマイチ。評伝だからしょうがないか。
また、荻生徂徠の研究者でもないから徂来のいわんとするところの解説も孫引きばかり。その点で中途半端に終わったのは残念。
でも、荻生徂徠の偉大さだけはよーくわかった。

荻生徂徠(1666‐1728)は江戸時代中期の儒学者。将軍・綱吉の側近、柳沢吉保の知遇を得て、綱吉や吉宗に対して儒書の講義や中国語の翻訳などを行い、政治的助言も行ったりしたらしい。

それまで日本では、いやその後の日本も、というべきか、中国の漢文は日本語に訳して読んでいて、「春眠不覚暁」もレ点、返り点を入れて「春眠暁を覚えず・・・」と日本語にしちゃっているが、「従頭直下」といって、レ点、返り点に頼らず、原文そのままに読むべしと主張したのが荻生徂徠

当時、日本の政治あるいは思想を支えていたのは儒教儒学であった。儒学とは中国の孔子を始祖とする思想体系である。
四書五経」は儒学の教えにとって重要な9種の書物のことだが、今でも元号の出典はこの「四書五経」に拠っていて、「明治」「大正」は五経の1つ「易経」から、「昭和」「平成」は「書経」から来ている。

それを日本風に翻訳したうえで解釈するのが当時の日本の儒学だったのに対して、原点に立ち帰って考えるべきだと主張したのが荻生徂徠であり、当時の人々が目を剥くような独自の解釈を次々と明らかにした。
何しろ、当時日本だけでなく中国でも一般的であった儒学の解釈(つまりは本場の中国の思想家の解釈)までも「それは誤り」と喝破しちゃってるのである。

たとえば『論語』の注釈で一番古いものとして伝わるのは『古注』という書物にある2世紀後漢の鄭玄という人の注だという。
その鄭玄は『孝経』(孔子の著とも、弟子の曾子の著ともいわれる)にある「身体髪膚之を父母に受く。敢へて毀傷せざるは孝の始なり」について、「私は父母から受けた五体のどこも傷つけていない。これからももう傷つけることはないだろう。つまり私はちゃんと親孝行したんだよ」と注釈をつけているというが、「これは誤り」と徂来。
「『孝経』にある身体髪膚うんぬんは、ただ身体を傷つけないようにするのが親孝行の始まりといってるのではなく、刑戮(刑罰)に遭わないようにするのが親孝行の始まりだといっているのである」と徂来は明快に述べる。
「身体髪膚」の4字は、中国の刑罰である五刑を意味していて、刑によって身体を傷つけられることが多かった古代中国においては、できるだけ刑罰から逃れようとするのは当時の人々の処世術の1つだったのだという。

徂来はこのような知識をどこで得たかというと、彼は中国に行ったことなど一度もないし、中国人から学んだわけでもない。手に入れた書物を子どものときから読んで読んで、中国の一級の思想家もギャフンというような博識を獲得したのである。

もうスゴイとしかいいようがない。