善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

エゴノキと『伽羅先代萩』

日曜日朝の善福寺公園は晴れ。さわやか。

公園のあちこちにエゴノキがあり、今が満開見ごろ。鈴なりの花の下にいると、ふくいくとした香りに癒される。
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エゴノキは別名を「ちさの木」といって、「小さい」の意味とも、「チは、茎葉を切ると乳汁のようなものが出るところから」(大言海)との説もある。

もともと日本に自生する植物であり、次は「万葉集」の大伴家持長歌の一部。

知左能花 佐家流沙加利尓 波之吉余之 曽能都末能古等 安沙余比尓 恵美々恵末須毛 宇知奈氣支 可多里家末久波 等己之部尓
(知左(ちさ)の花 咲ける盛りに 愛(は)しきよし その妻の子と 朝夕に 笑みみ笑まずも うち嘆(なげ)き、語りけまくは、とこしへに)

柿本人麻呂の歌。

山萵苣 白露重 浦経 心深 吾恋不止
(やまぢさの 白露しげみ うらぶれて 心も深く わが恋やまず)

歌舞伎の『伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)』にもエゴノキつまりちさの木が出てくる。
有名な乳母の正岡の“飯炊き(ままたき)”の場面。
若君さまのご機嫌をとるように、正岡が息子の千松に「いつも歌ふ雀の唄、歌ふて御前の御機嫌とりや」という。千松は涙でしゃくりながら「こちの裏のちさの木にちさの木に、雀が三疋(ひき)止まって止まって、一羽の雀が云ふことにや云うことにや」と歌う。

この話はもともと文楽狂言であり、文楽の台本によるとこうなっている。

「ソリヤもう飯ぢや」と喜ぶ子
「コレ千松、何ともないと云う下から、せはしない何の事ぢや。いつも歌ふ雀の唄、歌ふて御前の御機嫌とりや、エ、鈍な子であるわい」と呵られておろ/\涙、
しやくりながらのしめり声「こちの裏のちさの木に/\、雀が三疋止まつて止まつて、一羽の雀が云ふことにや/\」
「アコレタベ呼んだ花嫁御々々々」
竹の下葉を飛下りて、籠へ寄りくる親鳥の餌ばみをすれば、子雀の嘴さし寄する有様に
「アレ/\乳母、雀の親が子に何やら喰はしおる、おれもあの様に早う飯が食べたい」と小鳥を羨む御心根
「オヽお道理ぢや」と云ひたさを紛らす声も震はれて
「わしが息子の千松が/\。エヽコレ千松、殿様の御機嫌を、何を泣顔する事がある。小さうても侍ぢや、コレ七つ八つから金山へ/\、一年待てども、まだ見へぬ/\」
「乳母、まだ飯はできぬかや」
「オヽもう出来まする。二年待てども、まだ見へぬまだ見へぬ」
「母様、飯はまだかいの」
「エヽせはしない。其方までが同じ様に行儀の悪い
「イエ/\わしは食べたい事はなけれど、御前様がおひもじからうと思ふて」

純白で清楚なちさの木の花と、やがて死んでしまう千松の悲しさの対比。胸に迫る場面。
歌舞伎座杮落としの5月公演の演目の1つに『伽羅先代萩』があり、正岡を藤十郎、八汐を最近私が贔屓にしている梅玉が演じる。観劇を予定しているので楽しみ。

苣(ちさ)の木に雀囀(さえず)る春日かな 正岡子規(明治26年春)

竹久夢二の詩にも次のようなのがある。

雀の子

とこどんどこぴいひやらひやあ
麦(むぎ)の畑(はたけ)を風がふく。

役者(やくしや)の群(むれ)をはぐれたる
子供心(ごゝろ)のはかなさは
‥‥‥うちの裏(うら)のちさの木に
  雀(すゞめ)が三羽とうまつて
  一羽の雀がいふことにや
  ゆうべござつた花嫁御(はなよめご)
  なにがかなしゆてお泣きやるぞ
  おなきやるぞ‥‥‥

ゆうべの芝居のその唄(うた)が
いまのわが身につまされて
ほろりほろりとないてゆく。

初夏の花、ヤマボウシの花が咲いていた。
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仲よしのスイレン
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