善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

佐藤雅美 へこたれない人

佐藤雅美『へこたれない人 物書同心居眠り紋蔵』(講談社

表題の「へこたれない人」をはじめ8つの短編で構成され、1つ1つ読み切りながら全体として話はつながっていて、最後はストンと胸に落ちる人情話に仕上がっている。さわやかな読後感。読み進める最中も心の中が洗われていくのがわかる。いい本だ。

主人公の藤木紋蔵は南町奉行所に勤務する物書同心。
ところ構わず居眠りするという奇病の持ち主だが、それゆえにか人の本性を見抜く能力も持っているようで、本人は気づいていないけれども、難事件がいつの間にか解決することが多い。
つまり、決してスーパーマンではないけれど、彼のひとことがきっかけになって事件が解決に向かう、なんてこともあって、そのあたりの「何気なさ」がこの小説の魅力かもしれない。

丁寧に調べて書いてあるのがいい。
江戸時代、死罪や遠島など重罪判決は老中の裁可が必要であり、さらに将軍が最終決定していた。
すべての裁決は前例をもとに行われた。
その前例を集大成したのが江戸時代の法令である「公事方御定書」である。
当然、世の中には前例のない事件が起きるから、そのたびに書き加えられていったらしい。

たとえば、本書には出てこないが、武士が町人を切り殺す無礼討ちについての規定が加わったのは「公事方御定書」がつくられた翌年の1743年(寛保3年)だという。
あるとき、大名家の江戸屋敷の門前で無礼討ち事件が発生した。調べてみると該当の項目がない。こりゃまずい、規定が必要ということになって、次の条文が追加された。
「たとえ足軽に対してであってでも、町人百姓が雑言を浴びせたり、あるいは不届きな仕打ちをして、やむを得ず斬り殺した場合、相手に非があったことが間違いないと判断されれば、斬ったほうにお咎めなし」

本書でも前例のないケースがいくつか出てくるが、その1つ、魚屋がフグの白子と知りつつ、正直にいうと売れないので「タイの白子」と偽って売り、それを食べた人が死んでしまった。
前例はない。こんな場合はどんな罪になるのか?
紋蔵は過去の事例を調べる。

こんなのがあった。
「売人・買人をこしらえて(さくらを使って)ニセモノを売りつけた者は入墨のうえ中追放」
あるいはこんなの。
「ニセ薬種を売った者は死罪」
こんなのもある。
「私利は関係なく、まったくの過ちでも、弓鉄砲を誤って打ち、人を殺した者は遠島」

そこで紋蔵は、魚屋は意図して、つまり相手を死に至らしめる目的で売ったわけではないのだからと、「罪一等を減じて遠島」が妥当ではないかという結論に達した。
紋蔵の意見は吟味与力方から奉行に上げられ、さらに老中、将軍といって最終決定された。

なかなか勉強になる。

でもたしか、フグの白子(精巣)は一部のフグを除いて無害なんじゃ?・・・。
卵巣は猛毒なので食べてはいけないけど、白子は焼いて食べるとシビれる(?)ような旨さなんだけど。