善福寺公園めぐり

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十月大歌舞伎 梶原平三誉石切

歌舞伎座十月大歌舞伎第3部の「梶原平三誉石切 鶴ヶ岡八幡社頭の場」を観る。f:id:macchi105:20201013123519j:plain

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相変わらずコロナ予防のため入場時は手指の消毒、検温。席の前後左右は空席。前から3列目だったので、1例目は無人で2列目の前も誰も座ってないから3列目でも最前列と同じ。全体がよく見えて役者もよく見える。経営的には困ったものだろうが、歌舞伎の客は高齢者が多いから劇場側も配慮せざるを得ない状態が続いている。

 

「梶原平三誉石切」通称「石切」で主役の梶原平三景時をつとめるのは仁左衛門。二月大歌舞伎で菅丞相の仁左衛門を観て以来だが、仁左衛門自身も劇場出演はこのとき以来というから、8カ月ぶりの舞台だ。

ほかに孝太郎、男女蔵、隼人、彌十郎歌六ら。

 

源平合戦を描いていて、石橋山の合戦に源頼朝が敗走した後の鎌倉が舞台。 鶴岡八幡宮に参詣に訪れた平家方の大庭、俣野の兄弟と梶原が偶然出食わし、普段より肌合いがあわぬ両者であったが勝利を祝って杯を酌み交わす。そこに、源氏に味方する六郎太夫、梢の親子がやってきて軍用金を調えるため家宝の刀を売りたいと大庭に持ちかける。目利きを頼まれた梶原は「一点曇らぬ名刀」と太鼓判を押すが、「二つ胴」の試し切りで確かめなければ買わない、というので死罪が決まった囚人と六郎太夫とで試し切りとなる。

梶原が刀を振り下ろすと、囚人は真っ二つとなるが六郎太夫は縛った縄まで切ってピタリと止まる。これを見た大庭兄弟は梶原の目利き違いをなじり引き上げて行く。 刀を売れなかった六郎太夫は自害しようとするが、親子の素性を見破った梶原は「今は平家方だが魂は頼朝の源氏方にある」と本心を明かし、手水鉢を真っ二つに切って名刀の証拠を見せ、刀を自分が買う約束をして去っていく。

 

華やかで颯爽とした中にも凛とした仁左衛門がすばらしい。

六郎太夫親子が2人して語り合う場面。ふつう歌舞伎では誰かがセリフをしゃべってるときはみんな黙ってうつむいているものだが、このとき仁左衛門は手にした名刀を目をランランと輝かせて見入る演技をしていた。そこに様式美だけではないリアリズムを見た。

六郎太夫親子と3人だけになり、親子の素性を見破って「今は平家方だが魂は源氏」と本心を明かす場面がまたいい。義太夫の語りと三味線の糸に合わせて、ときとして生きた文楽人形を見るようで、勇壮でまた美しい。

ここでの仁左衛門の梶原のセリフは「源平盛衰記」に出てくる話だ。

石橋山の合戦に破れた頼朝はわずかな手勢とともに洞窟に隠れるが、大庭がやってきてこの中が怪しいというと、梶原が洞窟の中に入り、頼朝と顔を合わせる。頼朝は今はこれまでと自害しようとするが、頼朝の人物の大きさに感じ入った梶原は自害するのを押しとどめ、「お助けしましょう」といって洞窟を出て、「中はコウモリばかりで誰もいない、向こうの山が怪しい」と叫ぶ。大庭はなおも怪しみ自ら洞窟に入ろうとするが梶原は立ちふさがり「私を疑うのか。それでは武士の意地が立たぬ。入ればただではおかぬ」と詰め寄ったため大庭は諦めて立ち去り、頼朝は九死に一生を得たのであった。

 

江戸時代の人たちは、現代のわれわれなんかと違って「源平盛衰記」を熟知していただろうから、梶原のセリフにヤンヤの喝采で、「日本一!」の声が飛んだことだろう。

ちなみにいまも歌舞伎座では大向こうからの声はなく、観客は熱烈な拍手を送るのだった。