善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

佐藤雅美 私闘なり、敵討ちにあらず

佐藤雅美『私闘なり、敵討ちにあらず』(文藝春秋)を読む。

このところ海外ミステリばかり読んでいて、久しぶりの江戸時代ものだったから、六郎左衛門とか兵太左衛門とか出てくるとハテだれだっけと戸惑ってしまう。読み進めるうちにだんだん慣れてくる。

「八州廻り桑山十兵衛シリーズ」の第8弾。八州廻りこと関東取締出役は、武蔵国相模国などの関東八州、いわゆる関八州を巡回し、悪党どもを捕らえて治安を維持するために置かれた役職。地元民は「八州さま」などと呼ぶ。黒澤明の『用心棒』などでは村々を巡回しては賄賂をせびって村人たちを困らせる悪徳役人として描かれることが多いが、主人公の桑山十兵衛はもちろん庶民の味方。

佐藤雅美の時代小説を読んでいると、その当時の習慣や法制をいろいろ調べているので、フィクションながらとても勉強になる。
たとえば今回の話では、あまりにも亭主に悪態をつく女房を、たまらずに亭主が手にかけて殺したとしても罪に問われない、という法律が江戸時代にあったのだという。8代将軍吉宗が定めた江戸時代の法律である「公事方御定書」にそういう記載があるという。(実際はそういう条文があるわけではなく、死罪をいいわたすような事件の場合は将軍が自ら決裁していたが、「亭主を死罪にすることはない。女房が悪いのだから構いなしとせよ」の鶴の一声が「先例」として記載され、それが法律となっているのが江戸時代の法制だ)

しかし、人を殺して罪に問われないというのはあまりにひどいではないかというので、十兵衛がいろいろと調べていくうち意外な事実が明らかとなり、話はおもしろくなっていく。

農村地帯で農民の自由がいかに奪われていたかもよくわかった。
たとえば髪の毛を束ねる元結は紙縒(こより)を用いてはだめで、安くて長持ちのする油紙の元結を用いなければいけないとか、雨具は蓑笠のみを用いるべし、婚礼の節の衣服は村役人は絹、紬(つむぎ)などでもいいが百姓は布木綿(ぬのもめん)にかぎる、鼈甲(べっこう)の櫛は御法度、大酒は飲むな、とことこまかに決めて指図していた。

江戸時代には秤座(はかりざ)というのがあったこともはじめて知った。
当時、物の量は升で、重さは秤で測った。江戸幕府は升と秤(分銅を含む)を座をもうけて統制していたという。座というのは業者団体みたいな組織で、幕府の特別許可を得て秤の製造、頒布、検定、修繕などを独占したのが秤座で、10年とか15年おきに秤改めが行われたという。
で、その秤改めをめぐる事件を十兵衛が解決する。

ちなみに、天下を統一するといち早く秤座を設けたのは徳川家康で、東33カ国を守随(しゅずい)家に、西33カ国を京の神(じん)家に支配させた。明暦4年(1658年)創業の守随という会社は今も名古屋に本社を置いて「はかりの会社」として現存しているという。

水位が異なる地点から地点へ船を通すため、水門を設けてその操作によって水位を調節し、船が通れるようにした「閘門(かいもん)式運河」の話も出てくる。有名なのはパナマ運河で、完成したのは1914年。大西洋と太平洋の水位は26メートルも違うので、水位を調節して船を通過させるためにこの方式を採用している。

実は享保16年(1731年)、パナマ運河に先立つこと180年以上も前に、武州(現在の埼玉県)見沼に完成したのが見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)という日本最古の閘門式運河。こちらは3メートルの水位差を水門によって解消する。この運河の完成により、利根川-見沼代用水-芝川-荒川(隅田川)-江戸という船の交通網が整備された。

佐藤雅美の小説はそんな史跡にもタイムスリップしてくれるから楽しい。