善福寺公園めぐり

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国立劇場 一谷嫩軍記

きのうは国立劇場で『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)』を観る。『平家物語』を題材とした歌舞伎演目。
市川団十郎坂東三津五郎坂東彌十郎市川門之助坂東巳之助片岡市蔵坂東秀調市村家橘中村東蔵中村魁春など出演。

国立劇場開場45周年記念上演の「歌舞伎を彩る作者たち」シリーズ第5弾。今回の作者は並木宗輔。会場のすみで当時の台本とか昔のポスターなどが展示してあった。
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平家物語』は平家と源氏の戦い、とくに平家一族の興亡を描いた軍記物語だが、勇壮な話ばかりでなく、流転の時代を象徴するような「無常観」にみちた物語が散りばめられている。
書き出しからしてそうだ。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」

一ノ谷の合戦をめぐって描かれた本作のテーマも「無常」ということである。
平家物語』では、平家方の無官太夫敦盛を源氏方の熊谷直実が討ち取る場面があり、それは次のような話だ。

馬上の直実は、敵方の武将らしき者を発見、波打ち際でむんずと組んでどっと落ち、取り押さえて首をかき切ろうと甲をはぎ取ると、年のころ16、7で薄化粧をしてお歯黒に染めた若侍。わが子の小次郎の年齢ほどで、顔かたちがまことに美しかったので、どこに刀を突き立てたらいいかわからない。熊谷が「いったいあなたはどのようなお方でいらっしゃいますか。お名乗りください。お助けしましょう」と言えば、「お前にとってはよい敵だ。自分が名乗らなくとも首を取って人に尋ねれば誰か見知っている者があろうぞ」と言う。直実は「ああ、きっと立派な大将軍だ。しかし、この人一人を討ち取ったとしても、負けるはずの戦に勝てるわけではない。また、討ち取らなかったとしても、勝つはずの戦に負けるはずもなかろう。自分のせがれの小次郎が軽傷を負っても自分は辛く思うのに、この方の父上はわが子が討たれたと聞いたら、どんなにか嘆かれるだろう。ああ、お助けしたい」と思ったが、背後からは味方がどっとやってくる。
直実が涙をおさえて言うには、「お助け申し上げようと存じましたが、味方の軍勢が雲霞のようにやってきています。きっとお逃げにはなれないでしょう。他の者の手におかけ申し上げるより、同じことなら直実の手におかけ申して、後世のためのご供養をいたしましょう」と言うと、「早く早く首を取れ」と敦盛。直実、いたわしく感じつつも泣く泣く首をかき切った。「ああ、弓矢をとる武士の身ほど情けないものはない。武士の家に生まれなければ、どうしてこのような辛い目に会うであろうか。情けもなく討ち取り申し上げてしまったものだ」と嘆き、袖を顔に押し当てて、さめざめと泣いた。

浄瑠璃の作者、並木宗輔(「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」などの作者としても有名)は、『平家物語』のこの記述を読んで着想を得て、作ったのが『一谷嫩軍記』だ。
宗輔は、直実が敦盛を討った話は、実は身代わりだったという替え玉トリックを生み出す。何とも大胆な発想だが、史実では、敦盛は平清盛の弟である経盛の息子だが、実は母は後白河法皇の寵愛を受けた藤の方という設定にして、法皇は身ごもった藤の方を経盛の妻にし、生まれた敦盛を経盛の子にしたというわけだ。
さらに宗輔はもう1つ仕掛けを考えて、直実はもともと院に勤める武士であり、かつて不義を咎められ罪に問われるところを藤の方に助けられたということにした。敦盛や藤の方にはそれだけ義理があるということになる。

『一谷嫩軍記』三段目「熊谷陣屋」では、陣屋を訪ねてきた藤の方に、敦盛を討ったときの様子を語って聞かせるが、続いて義経を迎えての首実検で、直実が取り出したのは敦盛ではなく、わが子小次郎の首だった。実は、海辺で直実が討ち取ったのは敦盛ではなく、小次郎だったというわけだ。

『一谷嫩軍記』では、この話には伏線があり、合戦の前、義経は直実に「一枝を切らば一指を切るべし」という高札を渡し、直実の陣屋の桜の木の前に立てるよう言いつける。高札の意味は「桜の枝を切ったものは指を切り落とすぞ」という警告だが、実は裏の意味があり、一枝とは一子のこと。「法皇の一子=敦盛」を切る代わりに「直実の一子=小次郎」を切れという謎かけだったのだ。
義経は、敦盛が法皇の落し胤であることを知って、何としても助けなければいけないと考えた。それで、直実に謎かけの高札でひそかにわが子を身代わりに立てるように指示をしたのだ。

わが子を手にかけたことで、直実の無常観はよけいに深まったに違いない。
義経の目の前で出家し、武器を捨てて旅に出る。

さて、きのうの舞台。
いつもは『一谷嫩軍記』というと「熊谷陣屋」を上演するのみで、序幕の「堀川御所の場」と第2幕の「兎原里林住家の場」はカットされるのが通例。序幕は98年ぶり、第2幕は37年ぶりの上演という。
なるほど、やらなくなったのは理由があると思ったのは、あまりおもしろくない。今回、団十郎熊谷直実薩摩守忠度の二役だが、団十郎がやると誰も同じに見えるなと、あまり感心しなかった。

ところが、第3幕「熊谷陣屋の場」になると一変。
出だしの、直実が花道から出てくるところから違う。何か諦観した様子。七三のところで、手にした数珠にはっと気づいて隠す。もうそこからクライマックスが始まっている。
こんなうまい団十郎を見たのは初めて、という演技。

最後に、幕が閉まり、団十郎のみ花道に残され、「十六年は一昔」「アア夢だ、夢だ」とひとりごちる。直実の孤独感、無常観がジーンと染み渡ってくる。
「夢だ、夢だ」と聞いたとき、なぜか一瞬、去年3月の大震災の悪夢が脳裏によぎり、胸が熱くなった。

三津五郎義経は上品でさすが。
三津五郎の息子、巳之助の成長著しく、先々が楽しみ。
いつもは番頭役とかの東蔵女形の藤の方役で、何となくかわいげがあった。

[観劇データ]
国立劇場開場45周年記念
3月歌舞伎公演
一谷嫩軍記
2012年3月20日
1階5列25番(花道に近かったので団十郎がよく見えてラッキー)