善福寺公園めぐり

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仁左衛門の「熊谷陣屋」 菊五郎の「直侍」

歌舞伎座の三月大歌舞伎、第2部は時代ものと世話もの豪華2本立て。f:id:macchi105:20210310111010j:plain

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1本目は「一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき) 熊谷陣屋」。

熊谷直実(くまがい・なおざね)に仁左衛門源義経錦之助、直実の妻、相模は仁左衛門の息子の孝太郎ほか。

続いて「雪暮夜入谷畦道(ゆきのゆうべいりやのあぜみち) 直侍(なおざむらい)」。

直次郎(直侍)に菊五郎、傾城・三千歳に時蔵ほか。

 

コロナ対策のため席の前後左右は空席と徹底している。

3列目の中央付近に座ったが、おかげで舞台がくっきりと見える。

「会話はお控えください」とくどいほどいわれるので場内は水を打ったような静かさ。幕が開く直前、幕の向こうで進行役が「おまたせしました」役者衆にいってる言葉まで聞こえる。

 

まずは「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」。

熊谷直実は源氏の武将で、一ノ谷での戦いで平敦盛との一騎討ちで知られる人物。その直実を主人公にした「熊谷陣屋」は、毎年のようにどこかの劇場にかかるほどの人気作。この10年ほどで歌舞伎座国立劇場で「熊谷陣屋」を4回観ているが、なぜか仁左衛門の直実は観てなかった。

この10年で観たのは、2012年3月の国立劇場(直実・団十郎義経三津五郎)、16年10月の歌舞伎座・八代目芝翫襲名公演(直実・芝翫義経吉右衛門)、18年2月の歌舞伎座高麗屋の三代同時襲名公演(直実・幸四郎義経菊五郎)、19年2月歌舞伎座(直実・吉右衛門義経菊之助)。

吉右衛門の直実の名演技はいうまでもないが、心に残ったのが団十郎の直実だった。団十郎は歌舞伎を背負って立つ大看板だが、役者としてはそれほどうまいとは思っていなかった。だが、12年3月に観た直実は感動的だった。これからもっとよくなっていくなと思っていたら翌年の13年2月、白血病のため亡くなった。生前に最後に観たのが「熊谷陣屋」の直実だった。

 

仁左衛門は2012年11月に新橋演舞場で直実を演じているが、残念ながら未見。その後、16年に博多座、去年暮れの12月に京都・南座で直実を演じていて、それに続いての歌舞伎座での直実となったが、実は当代の役者の中で最も多く直実を演じている役者の一人が仁左衛門なのである。

68年8月の朝日座が初役で孝夫時代の24歳のときだった。その後、孝夫時代に4回演じていて、98年2月の歌舞伎座での仁左衛門襲名披露公演で熊谷直実仁左衛門といい芝翫幸四郎といい、襲名披露のとき立役の役者は直実をやりたいらしい)。その後も6回、直実を演じている。去年暮れの南座顔見世興行に続き、今年3月の歌舞伎座で、直実を演じるのは13回目となる。

「歌舞伎公演データベース」で勘定してみると、少なくとも現役世代で熊谷直実を最も多く演じたのは当代の松本白鸚仁左衛門で13回。当代の吉右衛門がそれに続く11回だから、仁左衛門白鸚吉右衛門と並ぶ当代きっての直実役者といえる。

しかも、どっちかというと「和事」を得意とする関西出身の役者でありながら、江戸の役者とこれだけ張り合えるというのは、ひとこと、名優ゆえにほかならない。

 

仁左衛門は(彼に限らないが)なぜこれほど直実を演じるのか。本人はこう語っている。

「戦いの空しさや反戦の思いがこもっている。すんなり気持ちが入る、好きなお役です」

「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」は「平家物語」に材をとる時代物。「平家物語」は平家と源氏の戦い、とくに平家一族の興亡を描き、流転の時代を象徴するような「無常観」にみちた物語が散りばめられているが、一ノ谷の合戦をめぐって描かれた本作のテーマも「無常」ということだろう。 「後白河院のご落胤平敦盛を助けよ」という主君・義経の内意をくみ、直実はその身代わりとして、齢17の敦盛と同じ年かっこうのわが子小次郎を殺す。

史実では、少なくとも「平家物語」では、一ノ谷の合戦で敦盛は直実に討ち取られてしまうのだが、作者の並木宗輔(「仮名手本忠臣蔵」や「菅原伝授手習鑑」などの作者としても有名)は、直実が敦盛を討った話は実は身代わりだったという替え玉トリックを編み出す。また、史実では敦盛は平清盛の弟である経盛の息子だが、実は母は後白河法皇の寵愛を受けた藤の方という設定にして、法皇のご落胤にしてしまう。

これで物語はいよいよドラマチックになり、わが子を手にかけて身代わりとして差し出した父親の物語となる。

ついには直実は義経の目の前で出家し、武器を捨てて旅に出る。

花道での独白のシーン。

「十六年は一昔。夢だ・・・」

息子小次郎が生まれてからの16年の歳月が夢のように思われるとうめくようなつぶやき。出陣太鼓が鳴り響く中、耳を塞ぐようにして歩み去る仁左衛門

わが子を殺してまで果たさねばならない「忠義」とはいったい何なのか。直実の絶望感、無常観がひしひしと伝わってくる。

 

「雪暮夜入谷畦道 直侍」は河竹黙阿弥の作。

一面雪景色の冬の夜、江戸の北はずれ、入谷の田んぼの中にポツンとあるそば屋が舞台。

降りしきる雪の中をやってきたのは御家人くずれの直次郎。悪事を重ね、追われる身となった直次郎は、江戸を離れる前に恋仲の三千歳にひと目逢おうとする。按摩の丈賀の話を聞き、三千歳のもとへ向かうが・・・。

 

ひとことでいえば「粋でいなせな江戸っ子の芝居」。べらんめぇ口調の菊五郎にぴったり。

入谷大口寮の場での直次郎と三千歳の逢瀬では、清元の「忍逢春雪解(しのびあうはるのゆきどけ、通称・三千歳)」の旋律が流れる。

隣の家での清元のおさらいが聞こえるという設定で、余所(よそ)から聞こえるというので「余所事浄瑠璃(よそごとじょうるり)」というらしいが、これがまた情緒たっぷり。

 

一日逢はねば千日の 思ひにわたしゃ患ふて 針や薬のしるしさへ 泣きの涙に紙濡らし 枕に結ぶ夢さめて いとど思ひのますかゞみ・・・

 

束の間逢って、はかなく別れる男女の心情がしっとりと響いてくる。