善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

5月文楽公演と神保町・嘉門

きのうは国立劇場の「5月文楽公演」。16時開演の第2部で、演目は「二人禿(ににんかむろ)」「絵本太功記(えほんたいこうき)」(夕顔棚の段、尼ケ崎の段)「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」(明石浦船別れの段、宿屋の段、大井川の段)。

意外とよかったのが「絵本太功記」尼ケ崎の段の豊竹咲大夫。名人とうたわれた八代目竹本綱大夫の息子だが、これまで経験を積んでる割にはそんなにいいとは思えなかった。しかし、2年前に切場語りに昇進してやる気になったのか、きのうの舞台は「これぞ義太夫語り」といえる熱演ぶり。声も大きいし、迫力があった。三味線の鶴澤燕三もよかった。

勘十郎は武智光秀。真柴久吉が湯殿にいると思い込み、庭に生えている竹を切って槍を作り、そっと忍び寄るところ。光秀の動きに合せてカエルの声が不気味にゲコゲコと響く。あれはたぶん赤貝を鳴らしているんだろうが、すばらしい効果音だった。
役を大きく見せる勘十郎もいい。

わからないのは「生写朝顔話」。
「君の名は」みたいな、すれ違いの恋物語で、主人公は宮城阿曾次郎と秋月弓之助の娘、深雪。2人は出会い、恋に落ちる。国元に戻った深雪に縁談がくるが、相手は駒沢次郎左衛門という知らない名前。実は阿曾次郎が伯父の家を継いで名前を変えているのだが、深雪は気づかず、縁談を拒んで家出してしまう。そこから悲劇が始まるのだが、まずこの設定が理解できない。
「私は今は駒沢次郎左衛門だが、ホントは宮城阿曾次郎ですよ」って普通だったら言うでしょ。

そして今回の「宿屋の段」。座敷の衝立に、自分が深雪に贈った扇面が貼られているのを目にして、駒沢は宿の主人の話から深雪がこのあたりにいることを知る。駒沢は一緒に投宿している岩代多喜太(悪役)の手前もあって正体を明かさずに深雪を呼び出す。

深雪は阿曾次郎の姿を求めて街道をたどるうち、泣き続けたため目はつぶれて盲目になっている。「朝顔」と名前を変えている深雪は、目の前に阿曾次郎がいるとも知らずに琴をつまびく。
駒沢も一言二言声をかけるが深雪はわからない。
まず、駒沢の声を聞いて深雪がわからないのがおかしいし、駒沢だって、自分のために目が見えなくなった愛する人を目の前にすれば、何があろうと「深雪、おれだよ!」と叫んでヒシと抱き締めるはず。それなのに素知らぬ態度。いくら武士だって、これじゃああんまりにも深雪が可哀相。だからどんなに嶋大夫の語りがすばらしく、深雪の人形を遣う簑助がすばらしくても、ちっとも身を入れて聴けない。

しかし、一転して「大井川の段」は簑助の独壇場。いつも簑助の人形は生きていると思うのだが、その理由の1つがわかった。簑助の人形はハアハア息をしている。今はなき玉男の人形が「静の中の動」であるなら、簑助の人形は観る者と一緒に息を弾ませて呼吸している。だから余計に愛(いと)おしくなるのだろうか。

ただし、この段の最後でも、深雪は駒沢が残した秘薬と甲子の年生まれの人間の生き血と調合して飲むと目が見えないのが治るのだが、宿屋の主人は、実は深雪に大恩のある男で、しかも甲子の生まれ。それで刀で自分の胸を突いて命と引きかえに生き血を差し出す。何も死ななくったって生き血は提供できるのに、と思うのだが。

ハネたのがちょうど夜の8時ごろで、神保町の「嘉門」に直行。ご主人が1人でやっている小さくて小粋な店。ご主人のもともとの家はたしか仙台にあるとかいってたが、大震災ではさほど被害はなかった由。

ビールに日本酒、つまみは、ここはいつもご主人におまかせで、
水ナスにオリーブオイルとチーズをかけたもの、
カツオに鹿児島の甘い醤油とカラシ、
アサリの酒蒸し(大振りのアサリでした)、
山菜のごま和え風、
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アナゴの1本揚げ、
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ジュレというか煮こごり+ウニ+温泉卵(この取り合わせが絶妙)、
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それに碗もの。
日本酒の銘柄もご主人におまかせ。何という酒だったか、いろいろ飲んだので記憶になし。