善福寺公園めぐり

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第200回文楽公演 生写朝顔話

国立劇場9月文楽公演の第1部「生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)」を観る。
第200回の節目の公演だった。
しかも、久々に文楽の醍醐味を味わういい舞台で、今年一番の感動。
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西国の大名・大内家の御家騒動を背景にした、大内家の家臣・宮城阿曾次郎と、芸州岸戸の家老・秋月弓之助の娘・深雪(みゆき)との、すれ違う悲恋の物語。

宇治川螢狩りの段」で、出会った2人が一目惚れしてたちまちワリナイ仲となり、その後の深雪の一途な思いの深さが描かれる。深雪の執念が強すぎて、宮城阿曾次郎はただのツケタシという感じ。

深雪の人形を、場面ごとに一輔、簑助、清十郎がそれぞれ遣い分け、それぞれ違った味を出していた。
一輔の深雪はウブな感じがよく出ていたし、清十郎のはちょっと色気があった。
しかし、何といっても盲目となり極貧生活を送る深雪の簑助。
哀れな深雪を簑助は慈しむように演じる。だからいっそう哀れさが際立つ。

「嶋田宿笑い薬の段」では勘十郎の萩の祐仙がすばらしい出来。
勘十郎自身が楽しんでこの役をやっている感じで、だから見るほうも楽しい気持ちになるのだろう。

太夫もみんながんばっていた。
ことに咲太夫は言葉も明瞭で、軽快な語り口はさすがという感じだった。

ただし、「宇治川螢狩りの段」で2人が深い仲になるところをあまりに簡略にしたのはいかがなものか。
舟の上で2人が顔を近づけ、それを扇で隠した途端に奴が迎えにやってきて、2人はチューしただけでサヨナラとなる。
深雪は愛する男と契ったがゆえにその後も必死に男を慕うのだから、肝心の契りの部分を省略したのではむしろ深雪が可哀相だ。

あらためて「底本」を見てみると、
「(深雪)アイ、ふと見初めしが思ひの種。不便と思うて給はれ」とじっと寄添ひ抱きつき、すぐに障子を閉めからむ、松に這ふてふ藤かづら、いかなる夢や結ぶらん」とかなり生々しい内容。

ところが、公演のパンフレットに付いていた台本では、「ぢっと見交はし締めからむ、松に這ふてふ藤かづら、いかなる夢や結ぶらん」となっていて、大事なところが削られている。だから人形の動きもあいまいとなった。

教育上よろしくないと思ったのか、いかなる「忖度」が働いたのか。
国立劇場ゆえに頭の固いヤツがいてうるさいのか。ブーイング。

それはともかく、きのうは前から4列目の真ん中付近に座ったが、人形も太夫もよく見えて、言葉がわからないときは字幕も見えて、なかなかいい席だった。