先日のソウル旅行で気になったことがあるので、書く。
それは屋根のことである。
それは屋根のことである。
外国でもどこでも、街を歩くといつも気になるのが住宅の屋根だ。落語家の林家木久蔵(今は木久扇)のギャグに「やーねー」というのがあるが、あのセリフが出るたびに1人共感しているぐらいだ。
何しろ屋根がなくては住宅は成り立たない。紀元前2000年前あるいはそれ以上前、地面に掘った穴に柱を立て雨露をしのいだ竪穴式住居でも、必須だったのは屋根だったろう。あのころは草やワラなどをかぶせれば屋根になるから、楽なものだった。瓦で屋根をおおうことを考えたのは紀元前500年ごろだそうで、中国が発祥という。
瓦屋根となると頑丈になったのはいいが、重くなる。その重さを何とかしようといろんな工夫がされてきて、さまざまな建築様式に発展していったように思える。
今回、ソウルの建築物(現代建築ではなく、主として李朝時代に建てられ、しかも今に残っている建物のことだが)をいくつか見て回ったが、どの建物も軒が反り返っているのに目が奪われた。軒が天に突き刺さるように反り返っているから、反り上がりともいえる。
写真には写ってないが、古い民家の屋根でもものすごいほどに反り上がっているものがあった。
日本でも昔の寺院などは反り返っているのが多いが、もっとハデなのが韓国の建物だ。軒が反り返っているというより、棟ごと反り返っている感じさえする。それでいて建物全体の調和がとれていて、美しい。
写真には写ってないが、古い民家の屋根でもものすごいほどに反り上がっているものがあった。
日本でも昔の寺院などは反り返っているのが多いが、もっとハデなのが韓国の建物だ。軒が反り返っているというより、棟ごと反り返っている感じさえする。それでいて建物全体の調和がとれていて、美しい。
中国の古い建物も軒反りしているものが多い。以前、麗江に行ったとき、古い民家のどれもが軒反りしていて、その美しさに魅入られたが、理由を現地の中国人ガイドに聞くと「鳥になりたかったからですよ」という返事に、昔の人びとの心の豊かさに触れた気がした。
なるほど軒がピンと反っている家を見ると、鳥が羽を広げて大空に飛び立とうとしているように見える。
なるほど軒がピンと反っている家を見ると、鳥が羽を広げて大空に飛び立とうとしているように見える。
麗江は都会から遠く離れた鄙(ひな)の里である。自由に飛んで行って好きなところで暮らしたい、そんな思いがこめられている、とガイドさんはいってたが、ホントかどうか。
しかしたしかに屋根といえば平等院の屋根の鳳凰とか、鳥を連想するところがある。鳳凰はもともと中国神話の伝説の鳥、霊鳥である。聖天子の出現を待ってこの世に現れるといわれる瑞鳥のひとつであるから、屋根が鳳凰を飾るのも吉兆を願ってのことなのだろう。
そこで、屋根ごと鳳凰にしようとするのが軒反りなのだろうか。
そこで、屋根ごと鳳凰にしようとするのが軒反りなのだろうか。