善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

アゲハの幼虫と成虫

金曜日朝の善福寺公園は快晴。多少風はあるが、次第に暑くなっていく。

 

エナガの巣に親鳥がエサを運んでいた。

親鳥が白くて丸いものをくわえてるように見える。

何だろう?何かエサになるものか?

 

ナンジャモンジャの花がだいぶ開花してきた。

といっても花びらは細くてあまり目立たない。

 

下池のカワセミ。メスのヤエちゃんのようだ。

子づくりはどーなってるの?

 

幼虫が葉っぱをムシャムシャ食べている。

鳥のフンに擬態したアゲハの初齢幼虫だろうか。

近くにはもう少し成長した幼虫がいた。

頭部が大きいからやっぱりアゲハだろう。

 

歩いているとアゲハの成虫。

このところ毎日のようにアゲハを見る。

 

トチノキの花が咲き始めていた。

屹立して、花が密集していて、まるでたいまつかキャンドルみたい。

トチノキの近縁種がマロニエ

 

サシガメが獲物を捕まえて注射針みたいな口吻を刺している。

シマサシガメの幼虫みたいなんだが、幼虫でも立派な肉食のハンターだ。

こちらでは2匹が、チョウかガの幼虫を捕まえて口吻を突き刺している。

あんなに大きくても細くて鋭い注射針みたいなのを刺されると、逃げることもできないのだろうか。

あー、こわやこわや。

 

ノイバラの蜜を吸いにやってきたのは何の虫?

カナブン?コガネムシハナムグリ

 

多少とも風が吹いていて、コイノボリが少しだけ泳いでいた。

 

キビタキと出会えた朝

木曜日朝の善福寺公園は快晴。はじめ涼しいが、次第に暑くなってくる。

 

公園に着いて、おととい見つけたオオルリは?と耳を澄ますと、やっぱり鳴いている。

どこかにいるようなんだが、高い木の葉っぱの陰にいるのか、皆目わからない。

 

上池に久しぶりのメスのカワセミ

このところ下池でしか見なかったヤエちゃんだろうか。

しきりに毛繕いしていて、くつろいで?いた。

 

5月5日のこどもの日を前に、毎年恒例のコイノボリ。

風がないのでダラリとしていて、メザシ状態。

 

クモが立派な網を広げていた。

こうなってくると芸術品だ。

 

陽気に誘われてアゲハがヒラヒラ、ちょっと小休止。

 

高いところから、またまた美しい鳥の声がする。

今度の声はキビタキだ。

オスのキビタキがメスを探して、あるいはナワバリ宣言か、盛んにさえずっている。

鳴き声を頼りに目を凝らすと、いました!

メスは地味な色合いだが、オスはカラフルで、のどから胸にかけて鮮やかなオレンジ色をしている。

ふだんは山地に暮しているが、春と秋の渡りの時期には低地の公園にもやってくることがあるのはオオルリと同じだ。

盛んに鳴いていて、のどがふくらんでるのがわかる。

キョロキョロしていたから、やっぱりメスを探しているのだろうか。

 

池のふちではゴイサギがポツンといた。

 

ハクウンボクが鈴なりに花を咲かせている。

 

カナヘビが這い出してきて、日向ぼっこかな?

 

公園を1周して帰ろうとしたら、比較的低いところから聞き慣れない鳥の鳴き声がする。

鳴き声の先を探すと、またまたキビタキのオスだった。

さっきのが飛んできたのか、それとも公園には2羽のキビタキかいるのか?

しかも今度のは美しいさえずりではなく、地鳴きのようだ。

それにしても、公園を1周して2度もキビタキに出会えるなんて、何てハッピーな朝。

きのうのワイン+映画「サン・スーシの女」「離愁」

イタリアの赤ワイン「ゾーニン・クラシチ・カベルネ・フリウリDOC(ZONIN CLASSICI CABERNET FRIULI DOC)2022」

ゾーニンは1821年創業でイタリア最大規模の家族経営のワイナリーという。北はピエモンテ州から南はシチリア州までの7州にわたりワインづくりを行っていて、アメリカ (ヴァージニア州)とチリ(マイポ・ヴァレー)にもブドウ畑とワイナリーを所有している。

 

フリウリ(フリウリ=ヴェネツィア・ジューリア州)はイタリア北東部に位置し、東はスロヴェニア、北はオーストリアと国境を接し、アドリア海にも面しているところ。白ワインで有名だがもちろん赤ワインもつくっている。

ブドウ品種はカベルネ・フランカベルネ・ソーヴィニョン。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたフランス・西ドイツ合作の映画「サン・スーシの女」。

1982年の作品。

原題「LA PASSANTE DU SANS-SOUCI」

監督ジャック・ルーフィオ、出演ロミー・シュナイダーミシェル・ピコリ、ヘルムート・グリーム、ジェラール・クラインほか。

ナチズムの時代と現代を交錯ながら過酷な運命に翻弄された人々を描き、ロミー・シュナイダーの遺作となったドラマ。

 

1981年のフランス・パリ。保険会社社長にして世界人権擁護委員会の代表者マックス(ミシェル・ピッコリ)は、南米パラグアイの大使と面談中にいきなり相手を射殺。法廷の場で、彼は1933年のベルリンにさかのぼる長い物語を語り始める。

ナチス政権下のベルリンで、ユダヤ人の父親をナチスに殺された10歳のマックスは、両親の友人で反ファシズムの出版社を営むミシェル(ヘルムート・グリーム)と妻でソプラノ歌手のエルザ(ロミー・シュナイダー)夫婦に保護される。ところが夫のミシェルにナチスの追及の手が伸びてきて、ミシェルはエルザとマックスをパリへ逃がすが・・・。

 

原作はジョセフ・ケッセルの小説で本作の原題と同じタイトルの「LA PASSANTE DU SANS-SOUCI」。小説は1936年の出版で、映画では1981年の話が盛り込まれているからかなり脚色されているのだろう。

原題のタイトルは直訳すると「サンスーシの通行人」となるが、「過ぎ去りしサンスーシ」といった意味か。

サンスーシとは、パリにあるカフェの名前。

映画で描かれる1933年とはどんな年かというと、ドイツではこの年の1月、ヒットラーが首相となって瞬く間にドイツを一党独裁国家にして、出版、言論、結社の自由を含む個人の自由を奪って恐怖政治を押し進め、対外的には公然とヴェルサイユ体制打破を掲げて再軍備を強行し、隣国であるフランス侵攻を準備する形勢を整える。

これに対してフランスでは、ファシズムに反対する人民戦線の動きが活発になる一方で、ナチスに呼応するようにファシズム勢力が台頭してきて、30年代後半にはナチスに融和的な政権が登場するようになっていく。

1933年当時、サンスーシはナチス政権下のドイツから逃れてきた亡命ユダヤ人や反ナチの活動家らのたまり場になっていた。サンスーシの意味は「憂いなし」だが、18世紀にプロイセン(今のドイツ)に建てられたサンスーシ宮殿という有名な建物があり、その名前にあやかることで亡命活動家たちの隠れ蓑として使ったのかもしれない。

 

本作では、ロミー・シュナイダーが成長して大使を射殺するマックスの妻リナと、子どものころのマックスを保護し育てたエルザの2役を演じている。

夫と別れてマックスとともにパリに逃れてきたエルザは、夫のミシェルのその後を心配するが、捕らえられ収容所に入れられたミシェルは釈放されてパリにやってくる。

パリで再会するエルザとミシェル。エルザはミシェルを反ナチの活動家らが集まるサンスーシに連れていくが、こっそり2人を追ってきたのがパリのドイツ大使館に勤務する秘密警察の男。

彼はミシェルを釈放させてパリで待ち受け、あとを追ってきたのだった。

2人はサンスーシの前でタクシーを降りたところをその男に射殺され、サンスーシの存在もわかってしまう。

2人を追ってきたドイツ大使館の男こそが、のちに南米に逃亡して大使となった男であり、成長したマックスは殺された2人にかわって復讐の銃弾を浴びせたのだった。

 

エルザとミシェルがパリで再会し、タクシーでサンスーシに向かう途中、走る車内で互いの愛を確かめ合うシーンが何とも美しい。

パリのレストランで、少年のころのマックスがヴァイオリンで「亡命の歌」を弾くクリスマス・ディナーのシーン。息子のように育てたマックスの演奏を聴きながら、エルザの慈しむような表情と頬を流れる一筋の涙は、喜びか、悲しみか、その両方が伝わってくる。

本作は、原作を読んで惚れ込んだロミーが自らジャック・ルーフィオ監督に企画を持ちかけて実現した映画という。

彼女はドイツ生まれ(正確にはオーストリア・ウィーンの出身だが、当時はドイツに併合されていた)でドイツ育ちの女優だが、若いころ、清純な乙女役ばかりを押しつけるドイツ映画界への失望や、両親との確執もあってフランスに活躍の場を移している。

ナチスの映画に多く出演しているのは、自分がナチスについて無知だったことへの反省の気持ちもあるようだ。

ところが、本作の撮影に入る直前、彼女の14歳になる息子が事故で亡くなってしまう。このため製作が危ぶまれる事態ともなったが、自身が企画し、演じることにこだわりがあった作品だっただけに、息子の死から3カ月後、撮影は開始された。

映画の中での10歳の少年が弾くヴァイオリンに涙するロミーの目には、亡くなった息子の姿が映っていたかもしれない。

そして彼女自身も、本作が公開されてからわずか1カ月後の1982年5月、突然の心不全で帰らぬ人となる。43歳という若さだった。

 

ところで、本作の終わりの方では、裁判所の前で、無罪の判決を勝ち取った夫のマックスを待つ妻のリナにネオナチの男2人が近づいてきて、一人が彼女にツバを吐きかけて去るシーン(ネオナチの1人の役はジャン・レノでこれが映画初出演だとか)があった。

また、最後のシーンでは「その後2人は殺された」とのテロップが流された。

ファシズムが、過ぎ去った遠い昔の話ではなく、今日の問題であることを伝えたかったに違いない。

 

ついでにその前に観たのもロミー・シュナイダー主演の映画で、「サン・スーシの女」の8年前、ということは彼女が35歳ぐらいのときの作品。

民放のCSで放送していたフランス・イタリア合作の映画「離愁」。

1973年の作品。

原題「LE TRAIN」

監督・脚本ピエール・グラニエ=ドフェール、出演ロミー・シュナイダージャン=ルイ・トランティニャン、ニケ・アリキほか。

メグレ警視シリーズで推理作家としても知られるジョルジュ・シムノンナチス・ドイツのフランス侵攻を描いた同名小説(1961年)を映画化。

感動的なラストシーンのためにつくられたような作品。

 

第二次大戦下の1940年、北部フランスの村に住むジュリアン(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、戦火を避けるため妻と子どもを連れて故郷を去らねばならなかった。村人たちとともに列車に乗ろうとすると、女と子どもたちは客車へ、男たちは貨車へと、家族は離ればなれとなる。

列車が出発すると、途中で避難民が乗り、ナチスの手から逃れてきたドイツ生まれのユダヤ人アンナ(ロミー・シュナイダー)も乗り込んできた。

身動きできない列車の中で、道ならぬ恋と知りつつ心を通わせ合い、愛を深めていく2人。やがて列車は目的地に到着するが、ユダヤ人のアンナは当局に捕まる恐れがあるあるというので、ジュリアンはアンナを自分の妻と偽って検問所を通過するが、彼女は、ジュリアンが本物の妻に会いに行っている間に姿を消してしまう。

それから3年後、ドイツ占領下のフランス。妻の名前を騙っている女がいる、というので秘密警察に呼び出されると、そこにいたのはアンナだった・・・。

 

邦題は「離愁」だが、原題は「LE TRAIN」、つまり「列車」であり、ほとんど蒸気機関車が引っ張る列車内で進行する男と女の物語。しかし、それは、ラストシーンのために用意された長い物語だった。

ラストシーンは、秘密警察に捕まったアンナとジュリアンの再会シーンだ。

ジュリアンはラジオ修理の職人であり、ド近眼でメガネを手放すことができず、ケンカもあまり強くなさそうな、普通の男。妊娠中(映画の終わりのほうで男児を出産)の妻と小さい女の子がいる。

ラストシーンでアンナと再会したとき、実は彼女はレジスタンスに加わった活動家だったとわかる。

秘密警察の尋問官は2人の関係を疑う。もし互いが知り合いであるとわかれば、ジュリアンもレジスタンスの一員として捕まってしまう。「そんな人は知らない」といえば、彼はまた普通の生活を続けることができる。

いったんは黙ったまま立ち去ろうとしたジュリアンだったが、ドアを開けようとして足がとまる。振り返り、アンナの元に歩み寄って彼女の顔を両手で包み込むジュリアン。彼に身を寄せて慟哭するアンナ。

そこでストップモーションとなり、映画は終わる。

 

レジスタンスに身を投じたアンナと、そんな彼女に寄り添おうとするジュリアン。2人はそこで究極の愛を誓ったのだった。究極の愛とは、自由に生きようとするのを阻むファシズムに抗して愛を貫くこと――ラストシーンはそう語っている。

公園にオオルリがやってきた!

火曜日朝の善福寺公園は曇り。風もなく、散歩は快適。

 

ゴイサギがソロリソロリと歩いてきて、水中にくちばしをつっこんだ。

つっこんだまま動かないでいる。

水を飲んでるのでもなさそうだし、エサを探しているのか。

 

池のほとりでムラサキツユクサが咲いていた。

ツユクサ青い花なのに対して紫色のムラサキツユクサ

ツユクサの原産地は日本を含むアジア全域だが、ムラサキツユクサの原産地は北米という。

 

けさのカワセミカップルの動向は?

まずはメスのヤエちゃん。

オスのマルちゃんを探しているのか。

しかし、なかなかマルちゃんが現れないので、プイッとどこかへ行ってしまった。

ヤエちゃんの姿が見えなくなったところに、オスのマルちゃんがエサをくわえて飛んできた。

求愛給餌のためだろう、ヤエちゃんが飲み込みやすいように魚を頭にしてくわえている。

マルちゃんのやさしい心根がわかる。

盛んに鳴いてヤエちゃんがくるのを待っているが、なかなかあらわれない。

しばらくくわえたたまま待っていたが、ヤエちゃんを探して飛び去った。

すれ違いのふたり・・・。

 

エナガの巣では、親鳥がせっせとエサを運んでいた。

 

今年も見つけました。

宇宙人顔、あるいは怪人顔のミズヒキの葉っぱ。

 

黄色いハートマークのエサキモンキツノカメムシ

名前の由来は、江崎さんという学者が発見した黄色い紋があってツノのような突起があるカメムシというので、江崎紋黄角亀虫

 

きのうに続きムシヒキアブの勇姿。

 

けさはクモもいろいろ。

まずはワカバグモ。

触肢の先が丸く膨らんでるからオスのようだ。

あの中に精子が蓄えられている。

 

笹の上にいたのはササグモのようだ。

 

少し小さめだけどイオウハシリグモかな?

 

池をめぐっていると、高い木の上のほうから、聞き慣れない美しい鳥の鳴き声が聞こえる。

ハテ、何という鳥?と探すと、少し大きめの鳥が一瞬だけ姿を見せた。

遠くて、高いところにいて、コンデジでは証拠写真程度にしか撮れてないが、まさしくオオルリだ!

日本では夏鳥で、ほぼ全国で繁殖しているというが、主に山地の渓流沿いで多く見られる鳥なので都会ではめったに見られない。それでも、春と秋の渡りの時期には東京都内の公園に立ち寄ったりすることもあるらしい。

それで渡りの途中、善福寺公園にも羽を安めに立ち寄ったのだろう。

姿を見たのは一瞬だったが、濃いブルーの背中と白いおなかのコントラストがくっきり。

鳴き声も美しい。

明日も会えるかな?

エナガの子育てから学ぶ

月曜日午後の善福寺公園は曇り。

午前中、小雨が降り続いたので、雨がやんだ昼休みに公園1周。

 

池のふちでユウゲショウが咲いていた。

原産地は南米から北米南部で、明治期に鑑賞用として移入されたのが野生化したという。

午後遅くに開花して艶っぽい花の色、というので夕化粧(ユウゲショウ)。

どおりで朝の散歩のときには花が開いているところを見ないので気づかなかった。

オシロイバナの別名もユウゲショウなので、それと区別してアカバナユウゲショウとかベニバナユウゲショウとも呼ぶそうだ。

 

ムシヒキアブが葉っぱの上でジッとしていた。

緑色の美しい複眼をしているが、肉食の必殺ハンター。

 

雨粒に濡れてナンジャモンジャの花。

名前の由来は、水戸黄門として有名な徳川光圀が将軍から「あの木は何じゃ?」と聞かれて、とっさに「ナンジャモンジャ」と答えたとか、神事のときに使われる木だったので名を呼ぶのを憚ってこう呼ばれるようになったとか、諸説あるようだ。

 

いつもはコサギなのに、珍しく大型のサギがやってきていた。

やっぱり朝と昼とではやってくる生き物も違うのか。

ダイサギか?それともチュウサギ

見分け方のひとつとして、ダイサギの口角は目の後端を越えるが、チュウサギの口角は目の後端の下あたり、といわれるから、ダイサギのようだ。

 

エナガの巣にお母さんエナガ(それともお父さん)がエサを運んできた。

しかも、巣の中にヒナみたいなのが見える。

どうやら順調に育っているようだ。

エサを運んできたのは親鳥の2羽だけではなく、ほかに2羽ぐらいがエサを運んでいた。

どうやらヘルパーさんが応援に駆けつけてるみたいだ。

 

ふだんは群れで行動するエナガも、繁殖期には別れて一夫一婦制で巣をつくり子づくりをする。そこでエナガで注目されるのは、繁殖に失敗したほかのつがいとか、相手が見つからなかった独身のオスが、ヘルパーとして子育てを手伝いにやってくることだ。

とすると、エナガはひとつの大きな群れを形成していて、その中で家族ごと別れて子育てをしているので、群れの中で手の空いている者が忙しい家族に手伝いにやってきて、ヒナが巣立つと再び大家族の大きな群れで行動するようになるのだろうか。

そういえば人間も、今の若い人は子どもを産まなくなったというが、子どもを産まなくても社会の一員として活動するのであれば、広い意味で子育てに参加することになるといえるのではないか。

年寄りだって、年をとれば当然のことながら子どもをつくれなくなる。だからといって社会に不要なのではなく、自分がつくり出したものを子どもたちに伝える活動によって、立派に子育てに参加している。

 

巣の近くにいたのはヘルパーさんだろうか。

ヒナたちにエサをあげる順番を待っていた。

きのうのワイン+映画「許されざる者」「わるいやつら」

フランス・ボルドーの赤ワイン「ムートン・カデ・レゼルヴ・メドック(MOUTON CADET RESERVE MEDOC)2019」

(写真はこのあと牛のサーロインステーキ)

格付け第一級シャトーが手がけるムートン・カデの上級シリーズ。メドックの魅力を表現した厚みのある果実味と複雑なニュアンスが魅力。

世界で一番愛されるボルドーワイン「ムートン・カデ」の中でも、ワンランク上のレゼルヴ・シリーズ。こちらは銘醸地メドックの厳選されたブドウのみを使用した1本。力強い味わいながらも滑らかなタンニンがあり、お肉料理の旨みを一層引き立てる味わいです、と宣伝文句にあり。

メルロとカベルネ・ソーヴィニヨンブレンド

 

ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたアメリカ映画「許されざる者」。

1959年の作品。

原題「THE UNFORGIVEN」

監督ジョン・ヒューストン、出演オードリー・ヘプバーンバート・ランカスターリリアン・ギッシュオーディ・マーフィー、ダグ・マクルーア、ジョセフ・ワイズマンほか。

オードリー・ヘプバーンが出演した唯一の西部劇であり、監督のジョン・ヒューストンにとっても初の西部劇という意欲作。

 

開拓時代のテキサス。牧場を営むザカリー一家は、父親を亡くし、母親(リリアン・ギッシュ)のもとに長男ベン(バート・ランカスター)、次男キャッシュ(オーディ・マーフィ)、三男アンディ(ダグ・マクルーア)、それに養女レイチェル(オードリー・ヘップバーン)の5人暮らしだった。

レイチェルは長男ベンを慕っているが、ある日、一人の老人が現れ、彼女は先住民の娘だといいふらしたことから、一家は困惑を深める。しかし、噂は事実で、彼女は赤ん坊のときに先住民の家からさらわれ、白人として育てられたのだった。

このためにザカリー家は周囲から孤立してしまう。ちょうどそのころ、レイチェルを奪還しようと先住民のカイオワ族が襲ってきて、ザカリー家はレイチェルを守るために決死の戦いに臨む・・・。

 

西部開拓史の裏側にある開拓民と先住民との殺戮と復讐という悲劇を、アラン・ルメイの小説をもとに描いた異色の西部劇。

白人として育てられ、まわりからちやほやされていたレイチェル((オードリー・ヘップバーン)が、実は先住民の子であると知って、白人の牧場主たちは手のひらを返したようにレイチェルを蔑み、憎み、彼女を守ろうとする一家と絶縁して、路頭に迷わせようとまでする。「許されざる者」とは、そんな人種差別を平然とする白人たちのことをいっている。

映画の中でベン(バート・ランカスター)は「出自なんか関係ない。育ち方が大事なんだ」といったような意味のことをいっていて、人種のこだわりはなく、働き者の先住民出身の牧童に目をかけていた。監督のジョン・ヒューストンがいいたかったのもこのことだろう。

同名の映画にクリント・イストウッド監督・主演の「許されざる者」(1992年)があるが、内容は全く違うし、原題もイーストウッドのほうは「UNFORGIVEN」なのに対して、本作は「THE  UNFORGIVEN」。より許さない気持ちを強調しているように感じられる。

 

60年以上前の映画とは思えないほど映像は鮮明で美しかったが、デジタル修復されたのだろうか。

3頭の馬を乗り継ぎながらの追跡シーンで、疾走しながら馬から馬へ乗り替えるところとか、先住民の襲撃にあって籠城する家の屋根に自ら火を放って応戦するクライマックスなど、アクションシーンは迫力満点。

 

唯一の西部劇というオードリー・ヘップバーンの魅力も堪能できる。

多少メイクはしているだろうが、先住民の娘といわれても違和感がないのが不思議。すべてを許してしまう美しさが彼女にはあるのだろうか。

そういえば「マイ・フェア・レディ」(1964年)では粗野で下品な下町言葉の花売り娘、「おしゃれ泥棒」(1966年)ではバケツ片手に床をゴシゴシこする掃除の女性を演じていたが、あれにも違和感がなかった。

どんな役をやっても天性の輝きがあるのがヘップバーンなのだろうが、もちろん、努力も怠らないようで、裸馬に乗ったりして乗馬シーンも多くあり、相当練習したに違いない。

ただし、乗馬シーンで落馬してしまい、緊急輸送機で運ばれたものの脊椎を骨折して入院し、撮影は一時中断。2カ月たってようやく復帰し、コルセットをつけながらの撮影に臨んだという。

しかもこの当時、ヘップバーンは夫のメル・ファーラーとの間に子どもができて妊娠中だった。ところが撮影終了後、2度目の流産をしてしまう。それでも彼女は子どもがほしかったのだろう。再び妊娠し、翌年、長男のショーンを産む。

その3カ月後には早々と復帰して「ティファニーで朝食を」に出演している。

子づくりにがんばって、なおかつテキサスの先住民の娘の役から、一転してニューヨークを舞台に自由奔放に生きる高級キャバ嬢みたいな役を演じて、オードリー・ヘップバーンはやっぱり永遠不滅のヒロインだ。

 

その前に観た映画。

民放のBSで放送していた日本映画「わるいやつら」。

1980年の作品。

監督・野村芳太郎、出演・片岡孝夫松坂慶子宮下順子藤真利子梶芽衣子、神崎愛、藤田まこと緒形拳渡瀬恒彦米倉斉加年小沢栄太郎佐分利信ほか。

影の車」(1970年)「砂の器」(1974年)に続いて、松本清張の同名の小説を野村芳太郎監督により映画化。松本と野村監督が共同で設立した独立製作会社、霧プロの記念すべき第1回作品であり、現・仁左衛門片岡孝夫と豪華女優陣の競演が見どころの作品。脚本は井手雅人、音楽は「砂の器」と同じ芥川也寸志

 

父親のあとを継いで個人病院の2代目院長の座に収まった戸谷(片岡孝夫)は、医師としての情熱などまるでない、かといって病院経営の才覚もない、お坊ちゃん育ちのプレイボーイ。妻(神崎愛)と別居中の身でありながら、看護師長のトヨ(宮下順子)をはじめ、材木商の妻、たつ子(藤真利子)、料亭の女将、チセ(梶芽衣子)といった金づるの愛人がいるジゴロみたいな男。彼は2人の女から金を巻き上げる一方で、請われるまま、医者の立場を悪用して女たちの夫を毒殺していく。

彼は、独身で美貌のデザイナー、隆子(松坂慶子)にも食指を伸ばそうとするが、誠実そうな彼女もまた、彼を上回る悪女だった。

彼女を手に入れるため数々の悪事を犯していく戸谷。しかし、病院の院長といいながら世間知らずの彼は、やがて彼を取り巻く“わるいやつら”のために自らも落とし穴へはまっていく・・・。

 

歌舞伎界を代表する立役・十五代目片岡仁左衛門。大看板の尾上菊五郎、松本白鸚はともに高齢で病気がちだし、襲名したばかりの市川団十郎はまだまだ心もとない。となると今の歌舞伎界を名実ともに背負って立っているのが仁左衛門だが、本名の片岡孝夫だったころの主演映画。

このとき彼は36歳。彼を取り巻く女優陣は松坂慶子28歳、藤真利子25歳、宮下順子31歳、梶芽衣子33歳。

歌舞伎界の大スターになるべき人が、主演といいながらも、世間知らずの二代目ボンボンの役で、ジゴロを気取ってるうちにだまされて転落していく情けない男を演じているというので、熱心な松嶋屋ファンからはブーイングの声も起こったとか。前年には同じ野村芳太郎監督の「配達されない三通の手紙」にも出演し、テレビドラマにも積極的に出ていた。

歌舞伎よりも映画やテレビ出演に熱心だったようにも見えるが、彼には映画やテレビで顔を売らねばならない事情があったのもたしかだった。

 

仁左衛門は大阪生まれの京都育ちで、もともと(今もそうだが)関西歌舞伎の人。しかし、仁左衛門の孝夫時代、関西歌舞伎は不振にあえいでいた。

高校時代、関西の歌舞伎が低迷して、父である十三代目仁左衛門にも芝居の役がつかなくなったのをみて、役者を辞めようと思ったこともあったほどで、家計の足しにしようと兄と姉とで自宅の2階でもぐりの料理屋をしたこともあったという。

京阪における歌舞伎公演ができなくなってきた1962年、十三代目仁左衛門は自宅を手放す覚悟で借金をし、「仁左衛門歌舞伎」を旗揚げした。関西歌舞伎はそれほどまでに低迷し、それを目の当たりにした孝夫は23歳のとき、東京への移住を決意する。

自分から会社(松竹)に頼み込んでの押しかけ上京だったというが、それでも最初はなかなか役がつかなかったそうだ。東と西での歌舞伎の風習の違いやセリフ回し、イントネーションの違いにも苦労したという。

このとき目をかけてくれ、世話してくれたのが、十七代目中村勘三郎と、坂東玉三郎の養父である十四代守田勘弥玉三郎との“孝玉コンビ”はこのころから始まったのだろう。

なかなか東京の歌舞伎で役がつかなかったので、積極的に映画・テレビを問わずに顔を売っていたに違いない。それは自分のためだけではない。関西歌舞伎の立て直しへの強い願いも込められていたはずだ。

 

そうした苦労の中で生まれた仁左衛門座右の銘が「不逆流生(ふぎゃくりゅうせい)」だ。

流れに逆らわず、流されるのではなく流れを生かす、これが仁左衛門のモットーという。

映画やテレビドラマでは、とても嫌な男とか、情けなくてどうしようもない男を演じるときもあるが、それはそれで楽しい、というようなことを仁左衛門はインタビューで語っている。自分は真っ白なキャンバスみたいだ、というようなこともいっている。自分とはまるで違った人格を演じることで、むしろ芸に幅が出る、と彼は思っているようだ。

歌舞伎の役がつかない中でも、映画やテレビという別の流れの中で、それを生かして新しい役に挑戦していった仁左衛門

ひょっとして、「わるいやつら」で演じた世間知らずのボンボンの役が、「女殺油地獄」の与兵衛役にも生かされているのかもしれない。

キンラン咲き、金色のハエトリグモ

日曜日朝の善福寺公園は曇り、ときどき晴れ。

 

池のほとりを歩いていると、ビシ~ッと小さな虫が集まっている。

アブラムシの集団のようだ。

アブラムシは、有性生殖と単為生殖の両方を使い分けていて、春から夏にかけてはメスが単為生殖によって卵ではなく自分自身のクローンのメスを産み続けるという。しかも、生まれた子どもはすでに体内に子どもを身ごもっていて、やがて子どもを産むというふうにして爆発的に増えていくのだとか。

 

アブラムシの近くではテントウムシが交尾中。

テントウムシの大好物はアブラムシ。

腹ごしらえの前に、まずは子づくり優先なのかな?

 

さらに近くには葉っぱそっくりに擬態した幼虫。

ツノがあるからゴマダラチョウの幼虫かな?

 

さらにその近くに、またもや虫の集団。

勘定すると脚が8本あるから、生まれたばかりのクモの幼虫だろうか。

クモは多くの場合、たくさんの卵をひとかたまりで産み、糸をまいて卵嚢で育てる。

ナガコガネグモなんかは卵嚢の中に1000個ぐらいの卵があるというから、孵化するとそれこそ無数の幼虫が生まれてくるのだろうが、そのうち、天敵に襲われずに生き残れるのはどれだけあるのか。

 

エナガがエサとりで忙しそう。

今の時期、エナガは子育てのために虫をいっぱいとっているから、クモの子どもも餌食になっているかも。

 

長~い触覚の小さな虫。

黒色で細長く、ワンポイントの赤い斑点がある。

帰って図鑑で調べたら、キクスイカミキリのようだ。

一見すると小型のホタルに似ているというのでホタルムシとも呼ばれるそうだ。

春から夏にかけてが繁殖期で、ヨモギなどキク科の植物に産卵するのだとか。

 

サンショの雌花にアリがやってきていた。

 

葉っぱの上でサシガメが獲物をゲットした瞬間!

肉食のカメムシで、注射針のような長い口吻をふだんは折り曲げておなかの下に隠しているが、獲物に近づくと口吻を伸ばしてプスリと刺す。

遭遇したのは、ちょうど注射針みたいな口吻を小さな虫に刺したところ。

このあと獲物の体液をチューチュー吸うのだという。あーコワ。

 

公園の片隅で今年もキンランが咲いていた。

ところどころ離れた場所に6株ほど咲いている。

丘陵地などのコナラやクヌギなどを主体とする落葉樹林に生育する地生ランの一種。

花が完全には開かないことも特徴で、それには理由があり、虫に花粉を媒介してもらうより、土中の特殊な菌類との共生に重きを置いているからでは?

森林の減少、それに心ない園芸目的の採集などにより絶滅危惧植物に指定されている希少な植物だ。

 

きのう見つけたゴマダラチョウの幼虫。

枝の向こうから、かわいいお顔を見せてくれた。

 

キュートなお目メのハエトリグモ。

頭が金色に見えるのは構造色のいたずらか。