東京・初台の新国立劇場小劇場で上演中の「反応工程」を観る。作・宮本研、演出・千葉哲也。25日まで。
平日の昼間だったが、客席はほぼ埋まっていて、客層は男性は頭の白いオジサンが多かったが女性は若い人も目立った。
始めのうちは、役者が声を張り上げるのはいいとしても何を言ってるのかわからないことが多かったが(芝居を見ていてこれが一番困る)、そこは脚本と演出家の力なのだろう、だんだんと作品の世界に引きずり込まれていって、役者もだんだんうまく見えるようになってきて、最後は涙腺もゆるんで、とても感動的な舞台となった。舞台装置も秀逸。
もともとこの芝居は去年の4月に上演するはずだった。注目したのは宮本研の代表作の1つであるということ、そして出演者全員をオーディションで選ぶ、フルオーディション企画への期待からだった。
フルオーディションは、劇場と作品と俳優との新たな出会いを求め、小川絵梨子演劇芸術監督が立ち上げた企画だそうで、14人の出演者に対して1400人以上もの応募があったという。ところが、稽古を重ね、いざ初日が迫ろうとしていたときに新型コロナウイルスの蔓延により公演は中止。それでもあきらめずに、全出演者と全スタッフが再集結して、今年7月の上演が実現した。
舞台は太平洋戦争の敗色濃い1945年8月5日、九州中部にある軍需指定工場の"反応工程"の現場から始まる。
三井財閥(脚本では満井財閥となっていた)の工場は、石炭の副産物から染料をつくる工場だったが、今では石炭を化学変化させる工程で爆薬をつくり、ロケット燃料にする“反応工程”の現場となっていた。動員学徒も配属され、古株の工員らとともに汗を流しているが、大学進学を希望する動員学徒の一人田宮は、勤労課の職員である太宰から戦争の本質を説かれ、禁書となっている本を渡される。そんな中、動員学徒の一人に召集命令が下り、禁書も見つかり・・・。
戦時下の、いいたいことがいえない時代、大人たちにはこの戦争の先が見えてきているが、ただただ上に従うしかない。一方の学徒たちは、そんな大人たちの姿をみて反発を強めていくが、やはり表向き黙っているしかない。
「この世の中、どこかおかしい」と感じつつも、声に出していえないもどかしさ。それが軍国主義日本の、市井の人々の姿だった。
その中で若者たちは、苦悶しながらも真実を知ろうとし、生きることの本当の意味を問いただすのだった。
今の時代にも通じるテーマだ。
「反応工程」は宮本研(1926~88年)の戦後演劇界の記念碑ともいうべき作品と位置づけられていて、初演は終戦から12年後の1959年だった。彼自身も学徒動員の経験があり、そこから生まれた自伝的作品といわれる。
芝居の冒頭、工員の一人が、動員学徒の田宮が所持している禁書を手にとるが、それはレーニンの「帝国主義論」だった。
レーニンは第一次大戦のさなかに書いたこの論文で、資本主義の発展は各国ごとに不均等であり、利潤追求のための再分割をもとめ、戦争に進むのは必然である、というようなことを書いている。
宮本研はこのレーニンの本を読み、自分の戦争体験と重ね合わせたのかもしれない。
おもしろかったのがひょうきんな役柄の見習い工、矢部が劇中で歌う「炭坑節」だった。舞台が九州の三井三池だから(しかも宮本の出身地も熊本県)、「炭坑節を歌います」というからてっきり「月が出た、出た~」のほうの炭坑節かと思ったら、福島・茨城にまたがる常磐炭鉱で歌い継がれた民謡「常磐炭坑節」の一節だった。
ハアー竪坑三千尺 降れば地獄よ 底に黄金の 黄金のヨー ドンと花が咲くよ
ハアー発破かければ 切羽がのびるよ のびる切羽が 切羽がヨー ドンと金となるよ
なるほど、劇中歌としてはこちらのほうがふさわしい感じがする。
ちなみに新国立劇場の「反応工程」のサイトでは上演台本を公開している。興味のある方はどうぞ。