善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

三浦しをん 舟を編む

遅ればせながら、三浦しをん舟を編む』を読了。
漫画チックな感じもするが、おかげで読みやすく、おもしろくて一気に読む。

地味なテーマかと思ったら、意外とダイナミック。
辞書とは言葉という大海原を航海するための船、というわけで、『大渡海』という辞書の完成をめざす辞書編集部のメンメンの泣いて笑っての苦闘ぶりを描いている。
最近、映画化されて、公開間近らしい。

「言葉」について、なるほどと思うところもあった。

たとえば「あがる」と「のぼる」の違い。
「あがる」は上方へ移動して到達した場所自体に重点が置かれているのに対し、「のぼる」は上方へ移動する過程に重点が置かれている、と著者はいう。

へー、なるほど、なかなかの卓見、と思って、わが座右の書である『日本国語大辞典』(小学館)をひくと、同じことがもっと詳しく書いてある(何だ、ただの引写しか)。

同書によれば、たとえば、おなじ「~シテイル」という表現でも、「のろしがアガッテイル」というときはすでに動作・作用が終わった結果をいうのに対して、「煙がノボッテイル」というときは現在進行形の動作をあらわす、とある。

だから、「山にのぼる」とはいうが、「山にあがる」とはいわないのは、登山とは、頂上をめざす行為そのものを指すのであり、頂上に立ったその瞬間のみを重視するものではないからなのだ。

言葉は深い。

辞書の短い言葉の中には奥深い意味がこめられていることもよくわかった。
たとえば、日本の近代的辞書の嚆矢とされる『言海』。明治時代に大槻文彦が1人で編んだ辞典だが、その中の「料理人」の項は次のように説明されている。

料理人 料理ヲ業トスル者。厨人。

「業」は「ワザ」とも読め、料理人がめざす世界の奥行きを感じさせる。何と凝縮した表現だろうか。

辞書の紙質をめぐる話も印象深かった。辞書の紙には手に吸いつく「ぬめり感」が欠かせないそうで、主人公の馬締(まじめ)は「ためしに『広辞苑』のページを繰ってみろ」という。
手近にある『広辞苑』を繰ってみると、たしかにぬめり感がある!

ただし、馬締が下宿暮らしの友として愛好したインスタントラーメン「ヌッポロ一番」は、しょうゆ味じゃなくて、みそ味でしょう、ヤッパリ!