善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

日曜日のトロールの森

善福寺公園で開催中の国際野外アート展「トロールの森」(23日まで)は、11日に2回目の日曜日を迎えた。朝から雲が低く垂れ込め、寒い1日。

朝、公園を1周すると、上池にくちばしというか鼻っ先が真っ白の鳥がいた。オオバンだ。
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ツル目クイナ科の水鳥。オオバンより小さめのバンはくちばしが赤いが、オオバンは白。その違いの理由は何だろう?
そういえば善福寺公園ではオオバンは上池に(夏の間は見なかったから渡り鳥なのだろう)、バンは下池にいて、赤白を同時に見ることはない。すれ違ったりすれば面白いのだが。

上池のほとりには今もサクラ(ソメイヨシノ)が2度咲きしたまま。
と思ったら、ピンクの可憐な花が幾輪も咲く木があって、タニウツギだろうか。タニウツギは本来初夏に咲くが、ときどき秋にも咲くことがあるという。
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本日は作品の展示のほか、いくつかのパフォーマンスがあった。
1つは上池を1周しながらの「池の畔の遊歩音楽会<音のすむ森に捧ぐ>」。企画&ナビゲートは鳥越けい子さん(善福寺出身で在住のサウンドスケープ研究家、青山学院大学教授)、出演は辻康介さん(ヴォーカル)、立岩潤三さん(パーカッション)。
辻さんは1600年ごろのイタリア音楽やカンツォーネなどを得意とする声楽家。既成概念にとらわれない音楽活動をしていて、イタリアの古歌を独自訳による日本語歌詞で歌ったり、自分で作曲したりもしていて、この日もいくつもの自作の歌を歌ってくれた。
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秋の日の森の中に響く歌声が美しい。

この日の音楽会の副題は「善福寺の池と土地の記憶を紐解く不思議な音楽会」。善福寺池にはその昔、カッパが棲んでいた、と信じる(らしい)鳥越さんは、確かな証拠の1つとして、よくカッパとも間違われるカワウソがこのあたりに棲みついていた事実をあげる。

カワウソはイタチの仲間で、水陸両方で生息する。日本産のニホンカワウソ特別天然記念物に指定されていたが、もう何十年も目撃されなくなったため、ついに「絶滅種」となってしまった。しかし、昔は日本全国のあちこちで、ここ善福寺川流域にも棲んでいて、ときどきカッパに間違われたりもしたのではないか。

「かはうそは老て河童と成て人を取と古記にも見えたりといへば」という記述が江戸時代初期の「慶長見聞集」(1614年)にある。

鳥越さんは、善福寺池の地名とのかかわりについても興味深い指摘をしていた。
もともと善福寺池は違う呼び方だった。善福寺池という名前になったのは近くに善福寺というお寺が建てられてからで、それ以前の地名としては「遅の井」というのがある。

遅の井とは善福寺池の湧水のことで、その起源は古く、いい伝えによると約800年前の文治5年(1189年)、源頼朝が奥州征伐に向かう途中、この地で飲料水を求めるために地面を掘ったところ、折からの干ばつでなかなか水が出ず、頼朝が「遅いのう」とのたまったところから「遅の井」と命名されたといわれる。
しかし、それは違う、と鳥越さん。
かわうそ」は「かわおそ」とも呼ばれるが、「かわおそ」の略で「おそ」とも呼ばれる。「おそ」とは「恐ろしい」の意味もあって、「川に棲む恐ろしいもの」、「おそ」だから「かわおそ」と呼ばれたという。
平安初期(850年ごろ)の文書にすでに「狙(ヲソ)の毛を用ゐて」とあり、934年ごろの「和名抄」でも「獺」を「乎曾(おそ)」と読ませている(日本国語大辞典より)。
それで鳥越さんは、「遅の井」は「遅い井戸」ではなく、「オソのいる井戸」つまり「オソの井」なのではないか、という。

うーむ、なるほど、と感服した次第。

実は私が所属する「ラジオぱちぱち」も「トロールの森」で「黄金バット第76作タイムマシン見世物小屋」を3日に続いて18日と23日にも上演する予定で、そこでのテーマは善福寺池に棲むカッパとカワウソである。

何か奇しくもジョイントした感じで、うれしくなってしまった。

一時、善福寺に住んでいた詩人の尾崎喜八が書き残した「井荻日記」の朗読も耳に心地よかった。
「井荻日記」にこんな記述がある。
「寺分橋を渡るとき、水辺の闇の課からコガモの雌の声がきこえた」
1月の晩、友人を見送ったときの記述。寺分橋とは善福寺川の井荻小学校あたりに架かる橋のこと。何十年かまえの善福寺の水辺の風景が浮かんでくる。

午後3時からは現代舞踏家の大坪光路さんによる「舞踏公演」。
3日に続いて2回目だが、3日のときは好天に恵まれ、緑の風景の中の姿は透明に見えて、閉鎖空間の人工の光に妖しく輝く「白塗り」とはまるで違うものを見た気がしたが、11日は今にも降り出しそうな曇天の下で始まり、途中、ついに雨が降り出してしまった。
雨の中の舞踏がまた格段にすばらしく、透明を通り越して雨の中に溶け込み、風景そのものになってしまった感があった。
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人にとって自然とはあらゆる点で規範である。人は自然を超えることはできない。しかし、自然と同化することは可能である。そんな気持ちを抱かせてくれた瞬間であった。