善福寺公園めぐり

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明治座 天竺徳兵衛新噺

きのうの夜は明治座で「11月花形歌舞伎」

都内の劇場はあらかた行ったつもりだが、明治座は初めて。
何しろ明治座は以前は“新派の殿堂”といわれ、その後ももっぱら歌謡ショーみたいなのが多かったから、そちらにあまり関心がない当方としては、行くチャンスもなかった。
しかし、明治座の歴史はかなりのもので、今年でオープンしてから140年だとかで、華やいだ雰囲気だった。
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夜の部といっても午後4時半開演だから、客席は中年以上の女性が多い。
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本日の演目は、11月花形歌舞伎夜の部の「天竺徳兵衛新噺(てんじくとくべえいまようばなし)」通し狂言
4代目を襲名したばかりの猿之助が天竺徳兵衛ほかを早変わりで演じる。ほかに右近、笑也など、段四郎が出演予定だったが体調不良とかで休演(そういえば勘三郎の病気は相当悪いようだし、仁左衛門の休演も続いているし、心配)。

いつもは前の席を確保するのだが、手違いでかなり後ろの席。しかし、これはこれで全体を俯瞰できてよかった。それに後ろの席は何だか“庶民的”で、となりのオバサンはいびきをかいて寝てるわ、女性グループのおしゃべりがかしましいわで、それがまた歌舞伎らしくて何となく和む。

天竺徳兵衛というのは江戸時代初期に実在した人物で、鎖国の時代に15歳で朱印船に乗ってベトナム、シャム(タイ)などに渡り、その後オランダ人の船に乗って天竺(インド)まで行った。彼が長崎奉行に提出し、のちに出版された「天竺聞書」と呼ばれる見聞録は、当時の人々にとって異国への窓となった。

そんな天竺徳兵衛をモデルにしたのが、1804年初演の鶴屋南北作『天竺徳兵衛韓噺(いこくばなし)』。
徳兵衛は国家転覆をたくらむ悪人として描かれていて、謀反の罪で切腹した父、吉岡宗観に自分は清に滅ぼされた朝鮮の遺臣であることを知らされ、父からガマの妖術を授かる。早替わり、仕掛けなどのケレンをふんだんに使った芝居で、大人気を博したという。

この『天竺徳兵衛韓噺』に一工夫を加えたのが先代の猿之助だ。同じ南北の怪談『彩入御伽草』の小平次殺しの筋をくっつけて、『新版・天竺徳兵衛新噺』を1982年(昭和57年)に初演。それが今回の舞台である。

何しろ舞台装置がすごい。冒頭からホンモノと見紛うような巨大な船があらわれ、圧巻は大ガマ。口の中から赤い舌を出し、煙がモクモク(実はこの大ガマ、所属する地域のミニFM放送局「ラジオぱちぱち」の周年行事で街角ライブをやり、ラジオドラマの実演版で「天竺徳兵衛」のエピソードを取り入れたとき、メンバーの大学生たちに作らせたが、もちろんそれより迫力はケタ違い)。

小平次殺しは怪談仕立てで、幽霊が宙を舞い、早変わりも鮮やか。
殺されまいと杭にしがみつく小平次の指を、女房おとわ(これも猿之助)が切り落とすシーンには思わずゾッとする。

南禅寺の山門の上で石川五右衛門が真柴久吉とやり合う「楼門五三桐」のパロディまで登場し、最後の方は葛籠抜けの宙乗りで徳兵衛が空中を飛んでいく。

もう、これでもかこれでもかというぐらいの一大スペクタクル。ケレンの連続といってよく、見る側を飽きさせない。

これ以上の観客サーズビスはない、という感じで、それはそれで見ていて面白いのだが、ちょっとやりすぎではないかとも思った。
「徳兵衛」と「小平次」をくっつければ、確かに娯楽としての面白みは増すかもしれないが、無理してひっつけたみたいな気がした。

猿之助の演技も、早変わりの連続の役になんとか追いつこうと全力投球なのはわかるが、1つ1つの役の深みは伝わってこない。

以前、海老蔵が1人で5役に挑んだ「雷神不動北山櫻」を正月公演で見たことがあったが、あっちのほうがよかった。
あのときは、それぞれの役に市川團十郎家に代々伝わるお家芸の型が入っているから、しっかり稽古すれば多少演技はイマイチでも様になったのだろう。

猿之助は以前の亀治郎のときのほうが、もっとはつらつとしていたような気がする。やはり今のところはまだ、「4代目」の重みと気負いがのしかかっているのだろうか。

[観劇データ]
明治座創業140周年記念
十一月花形歌舞伎
2012年11月14日(水)夜の部
1階 16列12番