善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

セミはなぜ鳴かないか

火曜日朝の善福寺公園は曇り。風が爽やかで涼しい。しかし、太陽が顔を出すとたちまち暑くなる。

上池のサンゴジュの実が次第に赤くなり、だんだん珊瑚に近づいていく。
ミーンミーンと威勢のいい声がして、ようやくセミの季節到来か、と思ったらすぐにやんでしまった。
セミの脱け殻は多いし、幼虫が這い出してくる穴も目につく。それなのになぜセミは鳴かないのか?

そこで気になるのは最近、善福寺公園に多いムクドリ
7月中旬をすぎてセミがいっせいに鳴き始める時期になると、ムクドリは羽化したてのセミとか、地中にいる幼虫を捜し当てては引っ張り出して食べまてしまうのだという。羽化したてのセミはとてもおいしいのだとか。って、ムクドリに聞いたわけじゃないが。
まあ、そのうちムクドリが食べる数よりセミが羽化する数の方が圧倒的に多くなれば、あの降るようなセミの声が聞こえてくるだろう。

わが家に戻ると、先日(6月21日)新国立劇場井上ひさし作の『雨』を観に行ったときもらって蒔いた蕎麦のタネ(ほかに山形にある「シベール」というお菓子屋さんのラスクとか紅花のタネも配っていた)がスクスク伸びて、花を咲かせていた。(といっても蒔いたり水やりしてるのは私じゃなく、私はただの観察者だが)
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スプラウトの段階で食べちゃったのもあったけど、残りはどんどんたくましく伸びていった。タネを蒔いてから花が咲くまでほぼ1カ月。

こちらはスイートバジルで、やはり6月の末ごろタネを蒔いてこんなに育った。やはりもらいもの、というより「おーいお茶」のペットボトルを買ったら一緒についてきたもの。
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タダでもらったものであれなんであれ、生きものというのはしたたかだ。命を育み、成長していく。

ミミズだって、オケラだって、アメンボだって、トンボだって、カエルだって、ミツバチだって、スズメだって、イナゴだって、カゲロウだって、みんなみんな生きているんだ、友だちなんだ、と歌った『手のひらを太陽に』を思い出す。

ちなみにこの歌、やなせたかし作詩、いずみたく作曲の歌だが、最初、宮城まり子が歌った。当初の歌詞は「アメンボ」じゃなくて「ナメクジ」だったが、歌う段になって宮城まり子が「ナメクジは気持ち悪いからイヤ」と言い出し、やなせたかしがその場でアメンボに変更した、という話があるが、本当かな?(ナメクジじゃなくてイモムシとの説もある)