善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

大鹿村騒動記

月曜日朝の善福寺公園は曇り。さすがに朝はしのぎやすい。

アジサイの葉っぱの裏とか、あちこちにセミの脱け殻。しかし、ちょっぴり弱々しい鳴き声が聴こえただけで、威勢のいいセミの声はまだ。

きのうは、つい先日の7月19日に亡くなった原田芳雄主演の『大鹿村騒動記』を観る。映画館(T・ジョイ大泉)の片隅には記帳所が設けられ、遺影が飾られていた。
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この映画のロケは去年の11月に行われ、映画を観るかぎり、とても元気で病人とは思えない。声もしっかり出ていた。『男はつらいよ』の渥美清が最後の作品で痛々しいほど衰えていたのとはまるで違う。それほど元気そうだったのに、わずか半年あまりのちに亡くなってしまうとは。とても信じられない思いで映画を観た。

大腸がんを患っていたというが直接の死因は誤嚥性肺炎だという。この病気は食べたものとか雑菌を含んだつばとかが食道ではなく気管に入り込んでしまい、それで肺炎を起こす。実はもともと4つ足だった人間が立って歩くようになってから、のどには構造的欠陥が残ったままという。立って歩くことによって声門のある喉頭は声の出しやすい位置にまで鼻腔から遠ざかり、おかげで人間は言語を獲得するが、その結果、気道と食道が交差するようになり、食べ物が容易に気管に入り込みやすくなった。それを防いでいるのは巧妙な神経の働きだが、年をとるとともにその機能は弱まり、誤嚥性肺炎を起こしやすくなる。誤嚥性肺炎を含めて、とくに高齢者の肺炎による死亡は群を抜いて多い。
だからがんだけだったら、もっと長生きしたのでは、と悔やまれる。

それはともかく、映画のあらすじは──。

長野県下伊那郡大鹿村南アルプス山麓の谷間に位置し、四方を山で囲まれたこの地では300年以上にもわたり村歌舞伎の伝統が守られてきた。シカ料理店「ディア・イーター」を営む風祭善(原田芳雄)は、その大鹿歌舞伎に人生を捧げてきた花形役者。ひとたび舞台に立てば、村人の喝采を一身にあびる存在だが、実生活では女房に逃げられ、哀れ独り身を囲っている。
公演を5日後に控えた日、村役場の会議室はリニア新幹線の誘致をめぐって大モメ。「駅ができりゃ若い奴が戻ってくる」と主張する土木業の権三(石橋蓮司)と、「農業を捨てる人間が増えるだけ」と反論するハクサイ農家の満(小倉一郎)。なだめ役の商店主・玄一郎(でんでん)。全員、村歌舞伎の役者だ。東京に出ていった男と煮え切らない関係が続く総務課職員の美江(松たか子)は、思案顔。バス運転手で女形の一平(佐藤浩市)が横目でそれを気にしている。ひとり善だけが、「早く稽古しようよ」と歌舞伎で頭がいっぱいだ。
今年の演目『六千両後日文章 重忠館の段』は、大鹿歌舞伎きっての代表作。平家滅亡の後日談を描いたこの一大スペクタクルで、源頼朝を相手に大暴れする"敗残のヒーロー"景清こそ、善がずっと演じてきた十八番の役だった。

ところが、ようやく稽古が始まったところで、とんでもない事件が起きてしまう。18年前に失踪した妻の貴子(大楠道代)と幼なじみの治(岸部一徳)が突然戻ってきたのだ。あ然とする善に「ごめん、どうしようもなくて。(貴子を)返す」と詫びる治。
聞けば貴子は認知症を煩い、自分が駆け落ちしたことさえ忘れてしまったという。思わず「目ん玉くり抜いてやる」と殴りかかる善だったが、少女のように無邪気な貴子に水をかけられ戦意を喪失。その夜、成り行きで2人を泊めてしまう。
金のない治は温泉旅館を経営する一夫(小野武彦)のもと住み込みを始め、貴子はそのまま「ディア・イーター」に落ち着く。
あるとき貴子は、村の商店から勝手に品物を持ち出してしまう。必死で謝る夫を尻目に「何もしてません」と言いはる姿に、ついに善の気持ちは切れてしまう。「これじゃ景清なんかやれない」。ところが、歌舞伎保存会の長老・義一(三國連太郎)に詫びようと立ち上がったその瞬間、横から貴子の声が聞こえてきた。「ハテ合点の行かぬ、心有りげな夫の詞・・・」。景清の相手役である道柴の台詞。かつて舞台で演じ、善と結婚するきっかけになったこの役を、全ての記憶が曖昧になってもなお彼女は覚えていたのだ。

いよいよ明日が本番という日。最大風速30メートルの暴風雨が村を襲い、女形の一平が土砂崩れに巻き込まれてしまう。幸い命は助かったものの、とても舞台には立てない状態だ。果たして、300年の伝統はここで途切れてしまうのか。『六千両後日文章 重忠館の段』の幕は無事開くことができるのか。小さな村を巻き込んだ大騒動の、行方やいかに──?

それぞれの役者が勘どころを抑えて見事に役になりきっている。出ている役者も、松たか子とか瑛太佐藤浩市など以外はみんな60、70のジイサン、いや失礼、実力者ばかり。見事なアンサンブルで“大人の笑い”を醸し出していた。

ただ、90分という時間はちょっと短かったかもしれない。大鹿歌舞伎の名場面にたっぷり時間をとっていたから、それぞれのエピソード、たとえばリニア新幹線誘致をめぐるイザコザ、役場で働く女性(松たか子)の恋の行方、それに肝心の善と貴子、治の関係がどうなるかなど、なんだか消化不良で終わってしまった感じ。

最後に流れた忌野清志郎の「太陽の当たる場所」がジーンと心に沁みた。