善福寺公園めぐり

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国立劇場「日向嶋」の吉右衛門と葵太夫

国立劇場11月歌舞伎公演「通し狂言 孤高勇士嬢景清(ここうのゆうしむすめかげきよ)-日向嶋- 四幕五場」を観る。 

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悪七兵衛景清に中村吉右衛門、ほかの出演。

何といっても4幕目の「日向嶋浜辺の場」が圧巻の舞台。

 

平家の武将景清が源氏への復讐心を捨て去るまでを描く物語。

1959年、吉右衛門の実父である八代目松本幸四郎が、それまで共演を禁じられていた文楽の八代目竹本綱太夫・十代目竹澤弥七と組んで演じた記念碑的作品「嬢景清八嶋日記」を元にして書き下ろしたものという。

 

しかし、通し狂言にしなくても4幕目だけで十分に楽しめた。

序幕、2幕目、3幕目と、地味な展開。2幕目の「南都東大寺大仏供養の場」では吉右衛門の立ち回りもあるが、吉右衛門は重厚な演技を得意としているためか、ハデさ、華やかさはない。(大仏さまがどんなふうに登場するか楽しみにしていたが、大きさがわかるような絵で登場していた)

 

しかし、4幕目で一転したおもしろさ。

盲目になり流人となった景清が日向嶋の浜辺で暮らしているところに、3歳で生き別れとなった娘が訪ねてくる。

出だしがすごい。

歌舞伎義太夫語りの人間国宝である葵太夫がうなり出すんだが、今までの文楽義太夫では聞いたことのない旋律というか節回し。まるでうめくような感じ。能の謡を模した語りという。

もともとこの話は能の「景清」からつくられた作品だけに、能に対するオマージュが込められているのだろう。

それにしても、義太夫語りが謡をやるとあんなふうになるのか。ズシンと胸に響く。

 

娘と再会しようとする吉右衛門の景清も、掘っ建て小屋の中から能の景清で登場する。

 

娘の糸滝(雀右衛門)は、父との再会を果たすため駿河国で遊女屋に身を売って金をつくり、肝煎の左治太夫又五郎)を伴って 景清の許を訪ねるのだが、景清は本心は別として喜ぼうとはしない。極貧にある景清のために持ってきた金は、糸滝が身売りしつくった金だということは隠して、大百姓に嫁いで得たものだと差し出すと、「武士の娘が何で百姓なんかに嫁に行くのか」と心にもないことを言って娘を追い返そうとする。

それは子を思うからこその、もうオレなんかに構わずに暮らせという気持ちからなんだが、娘の糸滝は泣きながら金を置いて船で去っていく。

娘が乗る船が遠ざかるのを見つめながら、景清は「今、叱ったのは偽り。幸せに暮らせよ」と本心を明かすが、もちろん聞こえない。

娘が去ったあと、金と一緒にあった書き置きを里人に読んでもらい驚く。何と金は娘が嫁に行ってつくったのではなく、父のためにわが身を売ってつくった金だと知ったときの景清の、絶望と慟哭の凄まじさ。

「娘やあい、船よなう、返せ、戻せ」

里人に押しとどめながらも泣き叫ぶ景清。

平家のため、忠義の武士として生きようとした景清だったが、実は彼も一人の父親であり、子を想う心に勝るものはなかったのだ。