日曜日朝の善福寺公園は曇り。風はない。
相変わらず雪が残っている。
よほど寒いのだろう。軒先からツララ。
善福寺池の氷も厚くなっている感じ。
氷のない池の上にカワセミがいた。
ジッと下を見ている。
ときどきダイブしてエサをゲットしていた。
下池のヨシも雪に覆われている。
その中をシジュウカラやメジロが移動しながら茎をつついていた。
つがいだろうか。2羽のメジロ。
メジロが飛び立った瞬間。
東京の雪はまだ当分消えそうもない。
よほど寒いのだろう。軒先からツララ。
善福寺池の氷も厚くなっている感じ。
氷のない池の上にカワセミがいた。
ジッと下を見ている。
ときどきダイブしてエサをゲットしていた。
下池のヨシも雪に覆われている。
その中をシジュウカラやメジロが移動しながら茎をつついていた。
つがいだろうか。2羽のメジロ。
メジロが飛び立った瞬間。
東京の雪はまだ当分消えそうもない。
ところで、冒頭の「つらら」という言葉。漢字では「氷」「氷柱」と書く。
なぜ「つらら」なのか。「日本国語大辞典」によると「ツラツラ(滑滑)の約か」とある。
「ツラは滑らか光沢のあるさまを形容した語」とも。
つらら、なかなか美しい言葉だと思った。
なぜ「つらら」なのか。「日本国語大辞典」によると「ツラツラ(滑滑)の約か」とある。
「ツラは滑らか光沢のあるさまを形容した語」とも。
つらら、なかなか美しい言葉だと思った。
「源氏物語」第6帖の「末摘花」に次の歌がある。
朝日さす軒の垂氷(たるひ)は解けながらなどかつららのむすぼほるらむ
だが、歌の意味は「朝日がさしている軒のつららは解けているのに、どうして氷が張っているのだろうか」となる。
ここでは「軒の垂氷」がつららの意味であり、「つらら」は地面になり池なりに平らに張ってる氷をいっていることになる。軒から氷(ひ)が垂れているから「垂氷」で「たるひ」と読む。
ここでは「軒の垂氷」がつららの意味であり、「つらら」は地面になり池なりに平らに張ってる氷をいっていることになる。軒から氷(ひ)が垂れているから「垂氷」で「たるひ」と読む。
とすると、平安時代は「つらら」を「たるひ(垂氷)」といい、意味が逆転して「たるひ」を「つらら」というようになったのはかなりあとになってからのようだ。
1595年の「羅萄日辞書」では「ツララ」のことを「コヲリテ シタダル ミヅ(水)」としている。