善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

役者と映像が融け合い臨場感「ブック・オブ・ダスト 美しき野生」

先日、テレビで録画しておいたのを観た「ライラの冒険 黄金の羅針盤」(2007年の映画)の12年前を描いた芝居の映像版が公開されるというので観に行く。

ルミネ池袋8階にあるシネ・リーブル池袋で公開中のナショナル・シアター・ライブ(NTLive)「ブック・オブ・ダスト 美しき野生」。

5年前にロンドンの観光名所タワー・ブリッジのたもとにオープンしたばかりのブリッジ・シアター(イギリスの国立劇場ロイヤル・ナショナル・シアター系列の劇場)で今年1月に上演された舞台を映像化した作品。

イギリスの児童文学作家フィリップ・プルマンファンタジー小説ライラの冒険」三部作の映画化第1弾「ライラの冒険 黄金の羅針盤」は2007年に公開されたものの、宗教界から横やりが入って最初の1作のみで打ち切りとなってしまった。

かわりにBBCなどが共同製作したテレビドラマ「ダーク・マテリアルズ/黄金の羅針盤」として放送されているらしいが、17年、さかのぼること12年前を描いた「ライラの冒険」の前日譚となるプルマンの新たな三部作「ブック・オブ・ダスト」第1巻が出版された。副題は「美しき野性」。

その「ブック・オブ・ダスト」第1巻を舞台化したのが本作品で、22年の製作。

「美しき野生」とは主人公である12歳のマルコム・ポルステッド少年が愛用するカヌーの名前でもあるという。

 

作フィリップ・プルマン、脚色ブライオニー・レイヴリー、演出ニコラス・ハイトナー(元ナショナル・シアター芸術監督、現ブリッジ・シアター芸術監督)、出演サミュエル・クリーシー、エラ・デイカーズ、ナオミ・フレデリックほか。

 

プルマンが描く世界は奇想天外なパラレルワールド(平行宇宙)。人間には魂である動物(守護精霊)「ダイモン」が付き添い、思春期まではダイモンはその姿を変えることができる。ダイモンが死ねば人間は死に、人間が死ぬとダイモンは消える。

12歳のマルコム・ポルステッドと彼のダイモンのアスタは、オックスフォードから3マイル離れた場所に住んでいる。マルコムは15歳のアリスと彼女のダイモンのベンとともに、両親が経営する宿屋「トラウト」で働いている。「トラウト」は聖ローザマンド修道院に近く、マルコムは修道女たちの日常のお手伝いもしている。

ある日、聖ローザマンド修道院を訪れたマルコムとアリスは、シスターたちが秘密裏に育てている赤ちゃんに遭遇する。実は、その赤ちゃん"ライラ"はアスリエル卿とマリサ・コールターという2 人の賢者の赤ん坊だった。

街じゅうを歴史的な洪水が襲い、マルコムとアリスはライラを連れてカヌー「美しき野生号」で脱出を図るが、3人をライラの母親マリサと、巨大組織マジステリアムに所属するジェラール・ボンヌビルが追っていた。

マジステリアムとは、彼らの世界の教会で、人々から自由を奪い圧政によって支配しようとする権力機関だ。果たしてマルコムたちの旅は無事に終わるのか? ライラが追われている理由は何なのか? 彼らの冒険物語の結末は・・・?

 

以前観たNTLiveの「戦火の馬」でも背景映像にデジタル技術を駆使したプロジェクション・マッピングが巧みに使われていて臨場感を生み出していたが、今回はあのとき以上の出来ばえで、役者との一体感が半端なかった。

とくに洪水に見舞われ、氾濫した川をカヌーで下っていくシーンは、舞台の上なのに本当に荒れ狂う川の中で格闘していると錯覚を覚えるほど。

実際の舞台を見た人たちはにはさらに迫力があっただろう。

水墨画のような水の流れる様子は幻想的でもあった。

 

パラレルワールドでは、1人の人間に守護精霊のデイモンが1匹ついているのだが、主人公のマルコムのデイモンは川に棲むカワセミだった(毎日公園散歩でカワセミと出会っている身としてはうれしい)。

それぞれのデイモンは紙でつくったパペット人形で表現されていて、文楽の人形の一人遣いのように一人の役者が操っていた。

 

気になったのは、舞台で役者たちは「ダイモン」を「デーモン」と発音していたことだ。

日本人は「デーモン」と聞くと「悪魔」と思ってしまうが、守護精霊のほうの「ダイモン(デーモン)」は「daemon」と発音し、悪魔の方は「demon」で、発音には微妙な違いがあるようだ。

しかし、語源をたどれば、daemonもdemonも同じ意味だったという。

両方とも語源はギリシア語の「daimōn」で、「超自然的」とか「霊魂」を意味する言葉という。善悪の区別はなく、というより善と悪の両方の側面を持つ神的な存在だったようだ。

シェークスピアの「夏の夜の夢」に登場する妖精(フェアリー)が善と悪の両方を持っていたり、魑魅魍魎が悪でもなく善でもなく自然が生み出す摩訶不思議なものであるのと、同じかもしれない。

やがて時代を経るにつれて、善である「ダイモン(daemon)」と、悪である「デーモン(demon)」へと分かれていったようだ。

作者のプルマンは、人間の心には善もあり悪もあり、内なる声としてのデイモンを登場させたのだろうか。

 

12年後の主人公となるライラはまだ生まれて間もない赤ちゃんで、舞台には本物の赤ちゃんが出演していた。

その赤ちゃんたるや“名演技”で、満員の客やセリフを連発する役者を前に少しも動ぜず、泣いたりぐずったりももしないで、クリクリの目をして可愛さを表現していた。

5人の赤ちゃんが日替わりに出ているそうで、ちゃんとエンドロールに名前が出ていた。