善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「ガン・ファイター」

イタリア・トスカーナの赤ワイン「アケーロ(ACHELO)2018」

(写真中央はオイスターとセロリ。このあと牛ステーキ)f:id:macchi105:20210119110204j:plain

ワイナリーのラ・ブラチェスカは古代ローマ時代からワイン造りの歴史を持つコルトーナに位置する。

コルトーナではとりわけ高品質なシラーが有名だそうで、シラーとメルロ、その他をブレンドしたワイン。

「アケーロ」とは女性とワインを愛した神話の中の神さまの名前から名付けられたんだとか。

エレガントな味わいのワイン。

 

ワインの友で観たのはNHKBSで放送していたアメリカ映画「ガン・ファイター」。

1961年の作品。

原題は「THE LAST SUNSET」

監督ロバート・アルドリッチ、出演ロック・ハドソンカーク・ダグラスドロシー・マローンキャロル・リンレイほか。

 

お尋ね者のオマリー(カーク・ダグラス)は、恋人だったベル(ドロシー・マローン)が忘れられず、人妻となったベルやその家族とともにメキシコからテキサスまで1000頭の牛を運ぶ牛追いの旅に同行することに。そこへオマリーを追う保安官のストリブリング(ロック・ハドソン)が現れ、逮捕するのをテキサスまで延ばして旅に加わることになるが・・・。

 

保安官役のロック・ハドソンは二枚目でカッコイイが、主役は何といっても、はぐれ者のカーク・ダグラス

ダルトン・トランボの脚本がいいのか、カーク・ダグラスの詩のようなセリフと、シブい演技。

中でもうっとりしたのが「ククルクク・パロマ」を歌うシーン。

牛追い途中の夜のキャンプ。たき火を囲んでカウボーイたちがくつろいでいるとき、父親ほどの年の違うカーク・ダグラスに恋をした16歳(だったか)の牧場主の娘が黄色いドレスを着て現れる。そのドレスは、かつて彼の恋人だったジル(娘の母親)が着ていた思い出のドレスだった。

メキシコ人のカウボーイたちが楽器を奏でながら「ククルクク・パロマ」のメロディーを歌い、カーク・ダグラスが歌うように歌詞を朗誦していた。うっとり聞く娘。

 

「ククルクク・パロマ(Cucurrucucú Paloma)」は1954年にメキシコのトマス・メンデスが作ったラテン・ナンバー。

愛する女性を失った男が彼女を想うあまり、ハトになっていつまでも鳴き続けるという悲しくも美しい曲だ。「ククルクク」とはハトの鳴き声。2016年公開の映画「ムーンライト」でもブラジルのミュージシャンであるカエターノ・ヴェローゾが歌っている。

日本でもアイ・ジョージはじめいろんな人が歌ってたなー(古い!)。

 

ところで本作の脚本を書いたダルトン・トランボは、この映画の1年前に公開されたカーク・ダグラス製作総指揮・主演の「スパルタカス」でも脚本を書いている。

トランボはもともと1940年代からハリウッドの脚本家として華々しい活躍をしていた人。ところが、第二次大戦後に“赤狩り”の対象となってアメリカ映画界から追放される。思想・信条、そして表現の自由に対する理不尽な弾圧だった。だけでなく下院非米委員会の聴聞会で証言を拒否したというので逮捕され、有罪となって刑務所に入れられる。

この聴聞会でトランボは「あなたは共産党員か、あるいはかつてそうだったか」と問われ、信教・表現の自由等を保障する米国憲法修正第1条を理由に証言を拒否。それが議会侮辱罪にあたるというので有罪になった。

今の香港と同じようなことがかつてのアメリカで行われていたのだ。

出所後も彼は信条を曲げることなく(つまりはブラックリストに載ったまま)、大手の映画会社からは白い目で見られるためやむなく偽名で脚本を書くようになるが、やがて脚本家として復帰すべく、自らを排撃したアメリカ政府と映画界の大物たちに立ち向かっていく。

実は「スパルタカス」の脚本も当初は彼の偽名だったが、このとき、ダルトンの名前にすべきだと主張したのはカーク・ダグラスだった。

この当時、ダルトンが偽名や借名で映画の脚本を書いていることは業界の多くの人の知るところとなっていたが、“赤狩り”の空気はいまだ残っていて、彼の復活への道は依然、閉ざされたままだったのだ。

しかし、「スパルタカス」の製作総指揮をとっていたダグラスは、トランボの実力を認めて彼に脚本を書かせながらクレジットには偽名を載せるこれまでの映画製作者たちの欺瞞に強く反発。トランボの名前をクレジットに載せることを決断したのだった。

こうして「スパルタカス」はトランボの復帰第一作となったという。

 

1953年公開の「ローマの休日」も、脚本はイアン・マクレラン・ハンターの名義になっていてアカデミー原案賞(のちの脚本賞・脚色賞)を受賞しているが、実はトランボが手がけていたことを1991年に公表。トランボはすでに76年に亡くなっていたが、93年、改めてトランボにアカデミー原案賞が贈られた。

(1957年にも「黒い牡牛」でアカデミー原案賞を受賞しているが、偽名だったため授賞式には出席していない)

 

トランボ脚本の映画はほかにも、「ジョニーは戦場へ行った」(監督も)「栄光への脱出」「いそしぎ」「パピヨン」「ダラスの熱い日」などなど。映画史にさん然と輝いている。