善福寺公園めぐり

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大向こうの人々

歌舞伎座が建て替えられることになり、きのう(30日)「閉場式」が行われた。最近になってセッセと歌舞伎座に通うようになったにわかファンだが、ようやく慣れ親しんだ歌舞伎座がなくなるのはやはりさみしい。

学生時代からの生粋の歌舞伎ファンである元NHKアナウンサーの山川静夫著『大向こうの人々 歌舞伎座三階人情ばなし』を歌舞伎仲間のカミさんから借りて読む。

山川氏は学生時代から“大向こう”から声をかけていて、大向こうの会のメンバーでもあったという。大向こうとは、歌舞伎座の三階席、天井桟敷の一幕見席のことであり、転じてそこから役者に「音羽屋!」とか「待ってました!」とか声をかける客のことをいう。
たしかに歌舞伎はかけ声がよく「似合う」。七五調のセリフと独特の間(ま)は、一般客のわれわれもつい「〇〇屋!」と声をかけたくなる衝動にかられるほどで、舞台と客席との一体感を醸成してもいる。

本書を読んで、若き日の山川氏のかけ声で“傑作”と思えるのは次の箇所。
「仲間の大向こうが、左団次に『高島屋』と掛けたので、間髪を入れず『今日は三越!』とやったことがある。その日は三越デパートの招待日だったから、場内は大爆笑であった」

大向こうの“手本”といえる人に水谷謙介さんという人がいて、山川氏がNHKアナウンサーとなり、やがて歌舞伎を担当するようになったころの話。

「私が劇場中継を担当していた頃、どうも大向こうのマがずれている。よく考えてみたら、それは三階から一階の舞台までの距離によるわずかな音の時間差が原因だとわかった。つまり、三味線のきっかけも『チン、トン、シャン、中村屋!』ではおそいのであって『チン、トン、中村屋!』が、ちょうどいいのである。
それを水谷さんに話したら、『なるほど』と一応はうなづいてくれたが、そのあと、すまなそうに付け加えて言った。
『でもネ、あたしゃァ、そこまで計算して掛けるのは性分に合わないから、なるべく中継放送の日には行かないようにしますよ』」

劇場にいるときは自然に聞こえるかけ声も、テレビという機械を通すとその自然な雰囲気が出ないのだろう。芝居はやっぱり劇場まで出かけていくのが一番ですよ。水谷さんはそういっているように思える。

水谷さんが病気で亡くなったとき、水谷さんが贔屓にして「中村屋!」と盛んに声をかけていたいた中村勘三郎(今の勘三郎ではなく父親の17代目)は涙を流して悲しみ、お通夜にも駆けつけたという。
役者にとって大向こうは熱心なファンであるとともに、一緒に芝居を作る仲間でもあったのだろう。