善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

師走の京都歌舞伎見物③ 紅葉と歌舞伎

2~3日と師走の京都歌舞伎見物。
2日目の3日は第2部を観る予定で、開演は午後2時なのでその前に紅葉見物。
秋の京都に来て紅葉を見ないわけにはいかない。
さすがに12月に入るとどこも紅葉の盛りはすぎているようだが、二条城近くのホテルからも行きやすく、紅葉がまだ残ってそうな嵐山に向かう。

JR二条駅のホームの天井は木造のアーチになっていた。なかなか壮観だ。
骨組みを三角形に組む「トラス」と呼ばれる架構方式のアーチらしいが、木造というのはあまりないのではないか。
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山陰本線嵯峨嵐山下車。まずは常寂光寺に向かう。
しかし、モミジの盛りはすぎたようだった。かなり葉っぱが散っている。
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続いて落柿舎(らくししゃ)へ。
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松尾芭蕉の弟子、向井去来ゆかりの草庵。家の周囲には40本もの柿の木があったが、ある日のこと、一夜にして柿がほとんど落ちてしまったため「落柿舎」と名づけたという。
落柿舎にはいくつかの句碑があったが、心ひかれたのが次の句。

凡(およ)そ天下に去来ほどの小さき墓に詣りけり

虚子の句。虚子の生前最後の自筆句碑であり、破調吟として知られるという。建立は昭和34年。

へー、去来の墓ってどんなだろうと、落柿舎の裏手にある墓に行ってみる。
たしかに小さい。
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落柿舎のすぐそばにあるのが二尊院
百人一首で名高い小倉山の東麓に位置するお寺だ。
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急勾配の階段をのぼっていってさらに奥へと行くと、藤原定家百人一首を選定した場所として知られる時雨亭の跡があった。山の中腹の展望のよさそうなところにあり、今は木立が邪魔しているがここからの眺めはさぞ見事だったろう。
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紅葉もまだまだ残っていた。
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境内に入るなり、アッと驚くような紅葉が広がっていたのが宝筺院(ほうきょういん)。
平安時代白河天皇が開創した寺という。
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紅葉をたっぷり見たあとは嵯峨嵐山駅から二条駅へ。
ちょうど昼時だったので駅前の京都ラーメンの店で「たかばしラーメン」を食べる。
麺の固さからスープの脂っこめ、さっぱりめ、 ネギ・モヤシ大盛か否かまで選べるので、固さ普通でスープさっぱりめ、ネギ・モヤシどっさり、と注文。
豚骨醤油味というが意外とアッサリしていて東京のラーメンに似ている。
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二条駅から地下鉄に乗り換えて三条京阪で下車。
鴨川の河畔で一休みしたあと、午後2時開演の「顔見世興行」第2部は、「菅原伝授手習鑑 車引」「廓文章 吉田屋」「三升曲輪傘売(みますくるわのかさうり)」。
「車引」は梅王丸が鴈治郎、松王丸が愛之助、桜丸が孝太郎。「廓文章」は藤屋伊左衛門が仁左衛門、夕霧が雀右衛門で、終わりの方で雀右衛門の襲名口上が入る。「三升曲輪傘売」は新作で、傘売り実は石川五右衛門海老蔵

何といっても見どころは「廓文章」。
大店のがしんたれのボンボンをやらせたら仁左衛門の右に出る者はいない。
特に奥の部屋で客と会っている夕霧を一目見るため、いくつもの部屋を通っていそいそと行って帰ってくるところなど、おかしみとともにほほえましさといじらしさで、見ている方もつい伊左衛門に同情してしまう。
それに、雀右衛門が意外なかわいさ美しさで、よかった。

海老蔵の「三升曲輪傘売」は渾身の作品というが、ただ傘を使った手品(手妻)を見せるだけで少々ガッカリ。

それでもこの回は2階席のうしろのほうから見たが、劇場が狭いので舞台との距離を感じさせず、客席と舞台が一体となった芝居を堪能することができた。
その意味で先斗町歌舞練場は何てステキな劇場だろうか。

ちょっと気になったのは、定式幕の3色の縦縞が心持ち太い気がする。劇場が狭いから太く感じるのだろうか?
数えてみたら縦縞は18本あった。一方、東京の歌舞伎座の縦縞を写真で見たら30本ぐらいあった。
あるいは関西の定式幕はもともと太いのか?
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帰りは京都駅前の京野菜料理の店「接方来」でイッパイ。
接方来(せっぽうらい)とは「来る者は拒まず」という意味だそうだが、どんな由来があるのだろうか?
それはともかく、ビールのあとは日本酒。
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蕪のステーキ。
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茄子とアナゴの唐揚げポンズ
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生麸と湯葉の造り
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その他いろいろ食べて、〆は若狭ぐじの釜飯。ぐじとは甘鯛のこと。
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夜も更けたころ新幹線で帰京。