善福寺公園めぐり

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常套句の中のリアリティ 漢詩の扉

齋藤希史漢詩の扉』(角川選書)を読む。

李白杜甫、王維、白居易といった唐代の代表的な名詩を紹介する本。
とても勉強になる本だった。

どこが勉強になったかというと、漢詩の多くはただ目の前の情景を見たままに描いているだけとしか思ってなかったが、実はそんな単純なものではない、と今ごろになって気づかされた。
詩人たちは、自分の目の前に広がっている情景を、遠い過去の歴史の中の情景に重ねて描いた。だからこそ名詩と呼ばれるものには「永遠の生命力」が授けられたのだ。

名詩人による名詩が取り上げられているが、心に残ったのが岑参(シンシン、シンジン)の『磧中作(せきちゅうのさく)』。『唐詩選』にも載っていて、題名は「沙漠にて作る」という意味らしい)

走馬西来欲到天
辞家見月両回円
今夜不知何処宿
平沙万里絶人煙

馬を走らせ西来して天に至らんと欲す、家を辞して月を見ること両回円(まど)かなる。今夜 知らず 何れの処にか宿せん、平沙万里 人煙を絶つ。

西へ西へと馬を走らせて天に至るかのよう。家に別れを告げてから月が満ちるのを二度ほど見た。今夜はどこで宿営を張るのか。万里に広がる沙漠に人家の煙は絶えて見えない。

岑参は西域の詩を多く書いたことで知られるという。
それはもちろん岑参が西域に滞在した経験があるからだが(亡くなったのも西域の成都)、実は岑参は西域に行ってそこの風物に直接触れる以前に、すでに西域に行かずしてかの地の情景を巧みに詩に描いていたという。
つまり彼は行ったこともない西域のイメージ(それは人から聞いた伝統的、類型的なイメージにすぎなかったはずだ)をふくらませ、詩の情感を高めようと工夫を凝らしたのであろう。

本書の著者は言う。
「だからこそ、岑参が西域(に実際に行って、そこ)の風物を目のあたりにして詩を作ったとき、そのリアリティはそれまでとは異なった質をもったものとして表現されねばならなかった。常套句的な辺塞のイメージがベースとしてあったからこそ、そうではない表現としてのリアリティが求められた」

そして著者は「磧中作」について語る。
「ひたすら馬を走らせ、(つらさ、寂しさゆえに)涙を流すことも腸を断つ(断腸の思い)こともない。月を見ても、望郷を直接に言わない。西域の地名も出ない。具体的な制作時期は不明である。『磧』は、沙漠。沙漠にて作る、との詩題以上でも以下でもない。
しかしそれが、どこがどこともしれない荒漠たる空間に詩人が身を置いていることを如実に示す。その荒漠たる空間に依拠したリアリティが、たしかに表現されている。

詩のリアリティとは何であろうか。そこにあるものをあるがままに描けばそれでリアリティが得られるのだろうか。あるがままに描いているようで、じつは多くの常套表現の積み重ねであることに気づいたとき、新たな表現と生まれる。『磧中作』のリアリティとは、そうしたものではないだろうか」

なるほど、1つ1つの表現を見ればどうってことはないのに、生々しく胸に迫るリアリズムを感じるのは理由のあることなのだろう。

あらためて「磧中作」を読む。

走馬西来欲到天(馬を走らせて西来して天に至らんと欲す)
辞家見月両回円(家を辞して月を見ること両回円(まど)かなる)
今夜不知何処宿(今夜 知らず 何れの処にか宿せん)
平沙万里絶人煙(平沙万里 人煙を絶つ)

目をつぶれば、そこには荒涼とした沙漠が広がっていて、馬(ラクダの隊列)がトボトボと進んでいく。砂塵が読み手の私にも飛んできそうだ。

以前、サハラ沙漠に行ったとき、この詩を吟じたかったなー。