金曜日朝の善福寺公園は曇り。はじめ秋の風を感じさわやかだったが、風がなくなるとだんだん蒸し暑くなる。
セミの声ばかりのこの夏、久しぶりに鳥の声を聞く。
見上げると、 エナガだろうか?
今年の夏は雨が多く湿度が高かったためか公園のあちこちでキノコが育つのを見た。
見事なカサのキノコ。
セミヤドリガの幼虫が風に揺れていた。
セミの体に吸いついて養分を吸っていたが、蛹化のためにセミから離れ、糸を使って降りてきたところ。
カナブンみたいな甲虫が花にとまっていた。
よく見たら、「コアオハナムグリ(小青花潜)」というコガネムシの仲間だった。
緑色をしていて背中に小さな斑点がいくつもあり、細かい毛がたくさん生えている。名前を小青というが、ここでいう青は緑を指している。「青信号」や「青葉繁る」と同じだ。
たしかにカナブンに似ている。頭のあたりから出ている触覚なんてカナブンそっくり。だが、カナブンは樹液や蜜を吸うのに対してコアオハナムグリは花粉を食べる。花粉を求めて花の中に潜っていくのでハナムグリというわけだ。
見上げると、 エナガだろうか?
今年の夏は雨が多く湿度が高かったためか公園のあちこちでキノコが育つのを見た。
見事なカサのキノコ。
セミヤドリガの幼虫が風に揺れていた。
セミの体に吸いついて養分を吸っていたが、蛹化のためにセミから離れ、糸を使って降りてきたところ。
カナブンみたいな甲虫が花にとまっていた。
よく見たら、「コアオハナムグリ(小青花潜)」というコガネムシの仲間だった。
緑色をしていて背中に小さな斑点がいくつもあり、細かい毛がたくさん生えている。名前を小青というが、ここでいう青は緑を指している。「青信号」や「青葉繁る」と同じだ。
たしかにカナブンに似ている。頭のあたりから出ている触覚なんてカナブンそっくり。だが、カナブンは樹液や蜜を吸うのに対してコアオハナムグリは花粉を食べる。花粉を求めて花の中に潜っていくのでハナムグリというわけだ。
だが、「潜る」だったら「モグリ」でもよさそうだが、なぜ「ハナモグリ」ではなく「ハナムグリ」なのか?
名前に同じ「ムグリ」がつくものに「ジムグリ(地潜)」がいる。
ヘビの一種で、地中や石の下などにもぐり込むのを好むというのでこの名がついた。
これも「ジモグリ」ではなく「ジムグリ」だ。
名前に同じ「ムグリ」がつくものに「ジムグリ(地潜)」がいる。
ヘビの一種で、地中や石の下などにもぐり込むのを好むというのでこの名がついた。
これも「ジモグリ」ではなく「ジムグリ」だ。
少なくとも「潜る」を東京では「モグル」と読む。「ムグル」なんて聞いたことないが、どちらかが方言なのだろうか。
「広辞苑」では「ムグリ、ムグル」を「モグリ、モグルの訛り」としている。
しかし、「日本国語大辞典」では「ムグル」を「モグルに同じ」としていて、江戸時代の「柳多留(やなぎだる)」という雑俳の句集に「灯籠の人を禿はむぐって出」という句が載っていると紹介している。1765年とあるから、かなり以前から「むぐり」という言葉が使われていたようだ。
(ちなみに「灯籠の人を禿はむぐって出」の意味は、「吉原のお盆の行事である玉菊灯籠はいつも大変な人出で、小さな禿は人混みの足もとをかいくぐってはい出してゆく」)
一方、「日本国語大辞典」によれば「もぐる」「もぐり」が使われているのは比較的新しい。いちばん古いので1898年の「風俗画報」に「此辺には潜夫(モグリ)群居して」との例が示されているが、明治31年のことだ。
とすると、「むぐる」の転訛が「もぐる」なのか。
そもそも「もぐる」にしても「むぐる」にしても比較的新しい言葉で、古くは「くくる」といっていたらしい。
「広辞苑」では「ムグリ、ムグル」を「モグリ、モグルの訛り」としている。
しかし、「日本国語大辞典」では「ムグル」を「モグルに同じ」としていて、江戸時代の「柳多留(やなぎだる)」という雑俳の句集に「灯籠の人を禿はむぐって出」という句が載っていると紹介している。1765年とあるから、かなり以前から「むぐり」という言葉が使われていたようだ。
(ちなみに「灯籠の人を禿はむぐって出」の意味は、「吉原のお盆の行事である玉菊灯籠はいつも大変な人出で、小さな禿は人混みの足もとをかいくぐってはい出してゆく」)
一方、「日本国語大辞典」によれば「もぐる」「もぐり」が使われているのは比較的新しい。いちばん古いので1898年の「風俗画報」に「此辺には潜夫(モグリ)群居して」との例が示されているが、明治31年のことだ。
とすると、「むぐる」の転訛が「もぐる」なのか。
そもそも「もぐる」にしても「むぐる」にしても比較的新しい言葉で、古くは「くくる」といっていたらしい。