善福寺公園めぐり

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杉本文楽 曾根崎心中

終戦記念日のきのうは神奈川芸術劇場で『杉本文楽 木偶坊 入情 曾根崎心中 付り(つけたり)観音廻り』。

本当は今年3月に観に行く予定をしていたのだが、大震災の影響を受けて中止。がっかりしたが、その後、8月14日~16日の3日間、限定特別公演として復活したというので出かけていく。
『杉本文楽』とは現代美術作家の杉本博司による文楽の意味。
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曾根崎心中は元禄16年(1703年)4月、大坂曾根崎の露天神で醤油屋の手代平野屋徳兵衛と堂島新地の遊女天満屋お初が心中した実際の事件を、近松門左衛門が脚色したもので、事件から1カ月後の同年5月に大坂竹本座で初演され、空前の大入りとなったという。

この曾根崎心中は文楽(歌舞伎も含めて)の歴史にとってエポックとなる作品で、それまでは史実を題材に歴史上の人物を主人公にした作品が大部分だったのが、市井に生きる人と世相を描く現代劇という新しい分野を開拓したものとなった。それ以降、歴史上の英雄たちの話は「時代物」、当時の市井の人びとを描いた作品は「世話物」と呼ばれるようになる。

ところが、初演以降、近松作の曾根崎心中が上演されたのは享保年間(1716~36)までで、それ以降は上演が絶えていた。それから200年あまりたった昭和28年(1953)に歌舞伎で復活上演され、文楽では昭和30年に野澤松之輔の脚色・作曲により上演されるようになった。

ところが今回の曾根崎心中は作曲・演出鶴澤清治となっていて野澤脚色・作曲とは違う。
野澤脚色・作曲の曾根崎心中は2006年(平成18)2月に国立劇場でみていて、このときの徳兵衛は玉男、お初は簑助。至芸だった。

しかし、現在の曾根崎心中は、実は原文の一部が割愛されたものになっているのだという。
そこで『杉本文楽』の曾根崎心中では、原文に忠実な舞台化をめざし、上演台本には2008年に富山県黒部で発見された初版完全本(通称:黒部本)を原典として使用し、原文にある「観音廻り」を復活させたという。
復活上演に挑んだのが現代美術作家の杉本博司氏であり、それに賛同した豊竹嶋大夫(太夫)、鶴澤清治(三味線)、吉田簑助(人形、徳兵衛)、桐竹勘十郎(人形、お初)らとの共演が実現した。

で、きのうの公演。会場は、いつもの国立劇場とは違ってお年寄りはかなり少ない。多いのは若い女性客。文楽の変化を感じる。

舞台には、文楽に必須の「手摺」(人形遣いの足元を隠し、人形にとっての地面に相当する仕切り板)はない。ふつうの芝居をやるのと同じ舞台で、奥行きはかなり深い。

開演とともに場内は暗転、真っ暗となる。以降、芝居はほとんど暗闇の中で進んでいく。
鐘の音に続いて、せり出し舞台の底から鶴澤清治がせり上がってきて三味線を弾き始める。ちょうど一番前の席で、せり出し舞台のすぐ前だったものだものから、鶴澤清治がすぐ目の前にいる。三味線の音を聞いて、文楽三味線とは単にメロディを奏でるのではなく、劇的響きを奏でているのだなとあらためて思った。遠くで鼓弓。やがて念仏の声。

舞台の奥に、桐竹勘十郎の一人遣いによるお初が浮かび上がる。もともと初演時、人形の操作方法は現在の「三人遣い」ではなく、「一人遣い」だったという。今回は、復活上演する「観音廻り」というので新たにお初の一人遣い人形をつくり、勘十郎が挑戦。何とも妖しげなお初となった。

しかも、人形遣いの足元を隠す仕切り板はないから、黒衣姿の人形遣いは足の先まで丸見えで、人形は宙に浮いている。
普段の文楽を見慣れているから、初めは違和感を覚えたが次第になれていく。そもそも黒衣の人形遣いはその場にいないことになっているのだから、足元が見えたって別にどうということはない。浮いている人形も、むしろ浮世に生きる人の心を思わせる。

この初段の「観音廻り」は現行の曾根崎心中にはない。ところがこの「観音廻り」が復活したことで、物語の主題はまったく違ったものになった。

「恋を菩提の橋となし」
勘十郎の一人遣いによるお初が次第次第に観客席に迫ってくるに連れて、舞台左右には大画面で寺社の名前が写真で浮かび上がる。死に行くお初が、実は観音信仰に深く帰依していたことが伏線として語られる。やがてお初は、観音像に抱かれるようにして舞台から消えていく。

封建時代にあっては、忠孝に励み、弱者は無権利であって当然という封建道徳に人の心までが縛りつけられていた。
そんな中で、遊女を真剣に愛した徳兵衛、破滅する男と運命をともにすることを選んだお初。この世で遂げられぬ恋はあの世で成就される、との仏の教えだけが、人びとの救いだったのだろう。

そう思ってみていくと、最後のお初徳兵衛の道行で、「この世の名残、世の名残」と死出の旅に出る2人の最後の場面が何とも美しい。
しかもせり出し舞台で心中場面をやるものだから、いつもと違って背後から人形を観る形になって、実に新鮮な気持ちになったのであった。

簑助も勘十郎も終始、黒衣姿で顔を見せない。芝居が終わって、珍しい文楽のカーテンコール。いちばん最後に汗びっしょりになって登場した簑助と勘十郎に万雷の拍手。簑助が、右手、左手、最後に両手を差し上げてあいさつする姿がほほえましかった。

[観劇データ]
KAAT神奈川芸術劇場ホール
2011年8月15日(月)
16時30分開場 17時00分開演
上演時間約2時間半
SS席 1階3列13番