善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

美人の眉に似たビヨウヤナギ

月曜日の朝、久々に雨が上がっている。
嬉々として善福寺公園へ行くと、シチダンカか、はたまた城ヶ崎かのアジサイはもう枯れかかっていた。
ヒマワリの茎がのびているそばで、ソバの花が咲いていた。雨のしずくを葉っぱに残して。
イメージ 1

梅雨のころ咲く花といえばアジサイだが、ほかにもキンシバイが咲いていて、公園のあちこちで黄色い花を咲かせている。
しかし、今ごろ咲く黄色くてキンシバイに似た花にビヨウヤナギ(ビオウヤナギ)があるが、こちらは善福寺公園では見当たらない。

がっかりして帰る途中、近所の喫茶店の植え込みに、こぼれるように咲いていた。

キンシバイは、シベが金の糸のようで、5弁の花がウメのようだというので「金糸梅(キンシバイ)」。
でも、両者を比べてみるとビヨウヤナギのほうがシベを長々とのばしていて、こちらのほうが金糸にぴったりだ。
イメージ 2

イメージ 3

一方、こちらがキンシバイ
イメージ 4

実は原産地の中国ではビヨウヤナギは「金糸桃」と呼ばれているのだという。
ところが約300年前に中国から渡来したとき、枝先がやや垂れ下がっていて葉っぱがヤナギに似ているというので、日本では「未央柳(ビヨウヤナギあるいはビオウヤナギ)」と呼ばれるようになった。

「柳」はわかるが、では「未央」とは?
未央のもともとの意味は「まだ半ばにもならない」ということから「尽きない」というめでたい意味があるという。唐代の中国には未央宮(びおうきゅう)という宮殿があり、そこに楊貴妃が住んでいた。それで未央宮に咲く柳を「未央柳」といって、美人の眉、とりわけ楊貴妃の眉にたとえたのだとか。

白居易(白楽天)は「長恨歌」でこううたった。

帰来池苑皆依旧 都に帰ってくると宮殿の池も庭園もみな昔のままである。
太液芙蓉未央柳 太液池のハスの花も、未央宮の柳の枝もしかり、である。
芙蓉如面柳如眉 ハスの花は楊貴妃の顔のように見え、柳の枝は楊貴妃の眉のように見える。
対此如何不涙垂 これらに向かい合って、どうして涙が流れないことがあろうか。

それで日本では未央の柳、未央柳と呼ぶようになったというが、なぜ「金糸桃」とはしなかったのだろうか?
「金糸梅」も中国原産で、江戸時代の宝暦10年(1760年)に渡来したといわれるから、「金糸桃」が渡来した当時「金糸梅」はなかった。だからすんなり「金糸桃」としてもよかったと思うが、日本人の美意識か?(金糸梅は中国でも金糸梅)

あるいはそのころ日本でも「長恨歌」が流行っていて、それにあやかったのか?
昔から日本人は流行に弱かったのだろうか。

ちなみに、「長恨歌」に出てくる「芙蓉」は夏に咲くアオイ科のフヨウを連想するが、中国では芙蓉は元来、スイレン科のハスを指すのだという。