善福寺公園めぐり

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ゴッホ展 「サン=レミの療養院の庭」

きのうは広尾と神谷町で仕事があり、その間が2時間あいた。
それならと途中の六本木でおりて国立新美術館をのぞいたら「ゴッホ展」が開催中だった。
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日本人はゴッホが好きだというが、なるほど平日の午後というのに人が多い。土日はもっと混雑して、絵を見るどころじゃないに違いない、と思ったほどだ。

私もゴッホは好きだが、時間潰しの気持ちがあるからあまり熱心には見ない。
それでも、今回のゴッホ展はなかなか工夫した展示の仕方をしていて、同時代の画家(ゴーギャンやモネ、シスレー、それに日本の浮世絵師などなど)の作品も一緒に並べたり、ゴッホの「アルルの寝室」を会場に再現したり、わかりやすくしようという努力に好感が持てた。
「こうしてわたしはゴッホになった」というのが今回の展覧会のテーマだからか、ゴッホがいかにして他人の絵の模写をしたり、熱心に勉強して、自らの様式と技法を発展させていったか、がよくわかる。

しかし、ゴッホの絵はあまりにも有名で、以前にも見ているから、ナルホドと思いながら絵を見ていったが、1枚の絵の前で釘付けになった。

「サン=レミの療養院の庭」という作品である。
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その直前、ゴーギャンと共同生活をしながら制作に没頭したゴッホは、結局は耳切り事件を起こして仲違いしてしまう。精神を病んだ彼が行き着いたところがサン=レミの療養院だった。

アルルの時代にある意味、到達点に達したゴッホが、一歩引いた感じになったのがサン=レミの時代。
しかし、そのとき描かれた絵がすばらしいのである。建物や荒れ放題の草、木々に多くの黄色が用いられているが、どこか穏やかさが感じられる。

「サン=レミの療養院の庭」のほかにも、「蔦のからまる幹」「渓谷の小道」「夕暮れの松の木」「オリーヴ畑と実を摘む人々」「草むらの中の幹」「アイリス」「麦の穂」、どれも療養院にいるときに描いたと思われるが、傑作ばかりである。「麦の穂」などはアラベスク模様みたいで日本の文様を彷彿させる。

何とこれらの絵は、ゴッホの死の直前に描かれ、「サン=レミの療養院の庭」1889年、「アイリス」(1890年)は病室内で最後の日々をすごす間に描かれたという。

結局ゴッホは、不遇の歳を重ね、1890年、ピストル自殺により37歳で生涯を閉じる。
画家になると決意してから、10年というわずかな間だったという。