善福寺公園めぐり

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池上永一『トロイメライ』

池上永一トロイメライ』(角川書店)を読む。
今年読んだ中で一番おもしろかった小説が池上永一の『テンペスト』だった。幕末のころの琉球王朝を舞台に、男装の若き政治家、孫寧温(そん・ねいおん)の成長と活躍を描いた作品。まさに“嵐(テンペスト)”のような物語だったが、その姉妹編といえるのが『トロイメライ』。こちらは文字通り“夢想(トロイメライ)”のような物語。
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テンペスト』が王宮のある首里を舞台にしていたのに対して、こちらの舞台は庶民の町、那覇であり、登場人物も庶民が中心。主人公は新米の岡っ引き、武太(むた)。

農民出身の三線(さんしん)弾きだった武太は、新米岡っ引きに任命され、意気揚々と正義に燃えるが、世の中うまくいかないことばかり。毎夜どこかで起こる事件と、一喜一憂する庶民の人情に触れながら、少しずつ大人への階段を上っていく──という話。『テンペスト』と表裏一体となっていて、孫寧温や、ライバルの喜舎場朝薫も“ゲスト出演”している。

19世紀のころの那覇の情景が生き生きと描かれていて、何度か那覇を訪れたことがあるからか、つい目を閉じて、その風景に思いをめぐらしてしまう。

小説の冒頭、なんと、かの葛飾北斎も沖縄を描いていたのだと知って驚く。北斎は沖縄に行ったことはないはず。しかしそこは森羅万象を描いてきた浮世絵師。「琉球国志略」という琉球を見聞した報告書があり、そこに描かれた挿画をもとに『琉球八景』を描いたのだという。「琉球国志略」は記録的要素の強いものだったが、北斎は見事に自分流にアレンジし、見たこともない琉球の風景を豊かな想像力で描ききったといわれる。北斎のあふれんばかりの想像力で描いたゆえに、実際には降らない雪を降らせたり、遠くには見えるはずのない富士山まで描かれている。
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それはともかく、『トロイメライ』は沖縄の歌のような小説である。実際、『テンペスト』では琉歌が繰り返し登場したが、『トロイメライ』では沖縄民謡、そして、沖縄の庶民の料理が次々に出てくる。料理の作り方まで描かれていて、つい食欲をそそられる。

ジーマーミー豆腐とか、アダンのチャンプルー、サーターアンダギー、クーブイリチー、ラフテー、フーチバジューシー、ポーポーまで出てくる。小麦粉をクレープみたいに薄く焼いて、みそなどの具で包んで棒状にクルクルと巻いたお菓子がポーポー。もともと中国から伝わったものが沖縄風にアレンジされていったとか。どこの家庭でもつくられる庶民の味だが、昔は街角にポーポー売りがいたという。

三線をめぐるエピソードもおもしろい。三線とは、本土でいえば三味線のこと。琉球では踊りを上手に舞い、三線を引きこなすことが役人の素養として求められていたほどで、政治と芸術は一体のものだった。だから床の間には、刀ではなく三線が置かれたという。

実は武太は三線の名手で、武太が三線を奏でるところで物語は終わる。武太が奏でたのは『述懐節』という今も広く歌われている歌で、それはこんな内容という。

拝(うが)でなつかしやや ヨー
まずせめてやすが ヨー
別て面影の ヨー
立たばきやしゆが ヨー

(あなたに会えて生きる悲しみは
いくらか慰められました。
またお別れすることになり、
思い出すのが辛くなります)

沖縄には古い日本語の使い方が今もが残っていて、「なつかし」には「かわいい」の意味もあるという。だから「昔が懐かしい」という単純な意味ではなく、主に使われるのは恋人に対してで、「離れたくない、心がひきつけられる」というような気持ちが込められているとか。「なつかし」のもともとの語源は「なつく」で、現代語でいう「(犬や猫が、人に)なつく」であることから考えると、なるほどそうなのかもしれない。そう理解してこの歌を聴くならば、きっと一層の深みを覚えるのではないか。