善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

宮部みゆき『あんじゅう』

宮部みゆきの『あんじゅう-三島屋変調百物語事続』(中央公論社刊)を読む。

『おそろし 三島屋変調百物語事始』の続編だそうで(『おそろし』は未読)、2009年元日から読売新聞朝刊に連載されていたのが1冊の本に。

江戸は神田、袋物屋の三島屋で働くおちかは、ある事件以来、心を閉ざしていたが、そんな彼女に三島屋主人が課したのは「不思議な話」の聞き集めだった。

ページごとに南伸坊の挿画が入っていて楽しい。本の一部はiPad用アプリケーションとしても発売され、グッズも売り出されているとか。

内容はというと──。
馬飼いの少年が山奥で出会ったのは、おかっぱ頭をした寂しがり屋の神様お旱さん。(「逃げ水」)

隣の針問屋住吉屋の娘が嫁ぐことになった。おちかは駕籠に乗り込む花嫁が別人であることに気づき、奇妙に思う。(「藪から千本」)。

手習所の若先生、青野利一郎がおちかに語ったのは、古い借家にまつわる物語。空き家になったその家には、人ならぬ暗獣(あんじゅう)が棲んでいた。(「暗獣」)。
ちなみに暗獣は「くろすけ」と呼ばれるが、宮崎駿の『となりのトトロ』『千と千尋の神隠し』に登場する「まっくろくろすけ」(こちらは「ススワタリ」といって、煤の妖怪みたいなもの)に似ている、というか似すぎている気がするが・・・。

巨漢の偽坊主・行然坊が流浪の旅の途中で行き着いた山奥の村の話。(「吼える仏」)。

全編、大人のための「日本むかしばなし」という感じ(もちろん中高生も読めるが)で、するすると読めて、優しい気持ちになれる。何しろ主人公のまわりの登場人物は、みんないい人ばっかり。悪い人も、決して根っから悪い描き方はしない。宮部みゆきの人柄なのだろう。だから読後はさわやかである。

ただ、表題にもなった「あんじゅう」は、池波正太郎だったらこういう終わり方はしなかったろうと思う。

直太郎というわんぱく盛りの子どもが登場する。父は与平といって、もとは八百屋の主人だったが、事業に失敗し、旗本らしい武家屋敷の用人として働いていた。ところが与平はある晩、焼死する。悪だくみして、それが失敗して焼け死んだというウワサが広がった。それが直太郎は許せない。

実は、火が出たのは与平が勤める屋敷ではなく、隣の空き家だった。それが屋敷に飛び火した。死んだのは与平だけでなく、若党と、若党と恋仲にある女中。3人の遺体は空き屋敷にあった。女中は武家屋敷の殿さまに横恋慕され、しつこくいい寄られて、屋敷を逃げ出してきたのだ。助けようとしたのが与平だった。

青野という手習所の若先生が語るところでは、その空き屋敷には10数年も前、手習所の師匠とその奥方がいっとき住んだことがあるという。師匠夫婦はその空き屋敷で真っ黒い不思議な生きものと出会う。生きものといっても子どものようだった。師匠はそれを「暗獣」と呼んだが、やがて2人は親しみを込めて「くろすけ」と呼ぶようになる。やがてくろすけとの心温まる日々が始まる。

が、しばらくするとくろすけが弱々しくなり、小さくなっていくことに気づく。「くろすけの正体は、この屋敷の気だ。人が住まなくなってこの屋敷は人恋しくてたまらなかった。それがくろすけをつくり出した。そこにわれわれ夫婦が入ってきて、屋敷の気も寂しくなくなった。だから、くろすけは消えるのだ。もう、くろすけに触ってはいけない」と結論づけた2人は、屋敷を立ち退く。

このあたりのエピソードはとても心温まるんだけど、最初の、与平が死んだ話はどうなったんだろう?

最後のほうで、青野の知り合いの岡っ引きが調べた結果、こんな推測が浮かぶ。
女中を逃がそうとする与平らを見つけた殿さまは、怒鳴り散らし、刀を抜いた。すると、そこに棲み暮らすくろすけが、見るに見かねて飛び出した。その拍子に、誰かの提灯が落ち、家に火がついた。殿さまはうまく逃げたが、あとの3人は焼け死んだ。

もう一つ、殿さまは火事以来、仮住まい先でたくさんの灯りをともすようになった。くろすけを見て闇が怖くなったのだろうと、青野は想像した。

話はこれでおしまい。直太郎にとっては「お前の父親は、悪だくみして、それが失敗して焼け死んだ」との烙印が押されたままだ。話がそれでおしまいでは、あまりにも理不尽ではないか。3人を死に追いやったのは殿さまだとわかったのに、「くろすけをみて闇が恐くなった」だけで済んでいいんだろうか?

池波正太郎だったら、これで終わりとはいかない。密偵たちが活躍して、最後は長谷川平蔵の腰間から愛刀粟田口国綱が抜かれ、殿さまは一刀両断! こうでなくちゃ。

ま、鬼平の出番はないとしても、事件の白黒をつけなければ、江戸っ子は納得しない。

もう1つ、やはり「暗獣」に出てくる言葉に「残心」とあって、おや? と思った。

手習所の師匠を敬愛する諸星主税と称する軍学者の次のセリフだ。

「それがしはただ、先生ならばこの屋敷を居と定め、その知力と胆力を以(もっ)て、そこに縛られている不幸な奥方の残心を祓うことも容易(たやす)かろうと」

ここでいう「残心」とは、「心残り」とか「未練」という意味だろうが、「残心」にはもう1つ別の使い方がある。

剣道では「残心」は基本中の基本の1つであり、メンとかドウ、コテーッと打突したあと、敵の反撃に備える心の構えをいい、この「残心」が認められなければ「1本」にはならない。
それは現代剣道だけでなく、江戸の剣術の時代から変わらないことであり、宮本武蔵は『兵法三十五箇条』(1641年)の中でこう述べている。

「残心放心は事により時にしたがふ物也(略)敵をたしかに打つ時は、心のこころをはなち、意の心を残す」

放心とはボーッとする意味ではなく、心を解き放すことであり、1つのことに心をとらわれないことをいう。
軍学者であれば剣術の基本としての「残心」を知っているはずで、安易に使うはずがない。しかも、そもそもこの話をおちかにしたのは「剣術のウデはたつ」という手習所若先生の青野であるのだから、なおさら。それでこの言葉がひっかかった次第。