善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

リビア旅行記6

ガダメスの旧市街を観光したあと、首都トリポリへ。
旧市街のスークを歩いたが、ちょうど金曜日の休日のためかシャッターを下ろしている店が多かった。途中、エスプレッソを飲ませるコーヒーショップがあって、そこでトイレを借りる。とても清潔で、日本にもないような現代風便器にびっくり。やはり洗練されているところは洗練されている。

街を歩いていて感じたのは、とても安全だな、ということだ。もちろん中には悪いヤツもいるだろうが、そんなのにはめったにお目にかからない。酔っぱらいがいないからか。物乞いする人もいないし、うるさくまとわりつくみやげ物売りも皆無。それだけ観光化が進んでいない証拠でもあり、町全体が素朴な感じだ。

8日目以降はトリポリの近くにあるレプティス・マグナ、サブラタの2つの古代遺跡を見て回る。

レプティス・マグナは紀元前12世紀ごろから地中海で交易を行っていたフェニキア人によって築かれた交易都市の1つ。当時アフリカからは金、銀、象牙、宝石、動物、それに奴隷などが輸出されていて、その中継港として栄えた。
イメージ 1

ローマ帝国の都に匹敵する巨大都市だったレプティス・マグナの遺構

やがてレプティス・マグナは、現在のチュニジアを中心に勢力を広げていたカルタゴの衛星都市になっていったが、紀元前146年ポエニ戦争でローマに敗れてカルタゴが滅亡すると、ローマの属領となった。
紀元2世紀末ごろ、この地の出身のセプティミウス・セレウェス帝がはじめてのアフリカ出身のローマ皇帝に即位。小ローマといわれるほどの大都市へと発展した。
しかし、その後のゲルマン、アラブの侵略で町は破壊され、8世紀ごろには完全に砂に埋もれてしまった。

1921年イタリア人の考古学者によって発見されるまで、砂に埋もれたままだった。逆にこのため保存状態がよく、現代の私たちも往時の繁栄を知ることができる。そのあたりは、火山の噴火で灰に埋もれたポンペイとも似ている。
半円形のローマ劇場、大浴場、円形闘技場メデューサ像、市場などなど、印象深いものばかりだった。
イメージ 2

見たものを石に変える魔物、メデューサ。ハート形の目をしているのが不思議

イメージ 3

英語のガイドさんはCGを使ってわかりやすく解説してくれた

もう1つのサブラタも、レプティス・マグナと同じころにフェニキア人が築いた町。やはりカルタゴの衛星都市となり、アフリカ各地から持ち込まれた金や宝石、象牙などの中継拠点として栄えた。カルタゴの滅亡後はローマの支配下となり、3世紀ごろには最盛期を迎えた。しかし、4世紀に相次いだ地震によって壊滅的な被害を受け、その後、規模を縮小する形で町は再建されたものの、7世紀に侵入してきたイスラム・アラブ軍により破壊され、以後砂に埋もれてしまう。
イメージ 4

地中海を望むサブラタの遺跡

1923年からイタリアによる発掘調査と修復が始まったが、現在も3割ほどしか調査が終わっていないという。砂岩や石灰岩で建物が建てられたため風化もひどく、かなり劣化が進んでいる感じだった。

それでも、ローマ劇場はすばらしいの一言。よくもこれだけ完全な形で残っていたといえるほどで(あるいはよくぞここまで修復したといおうか)、2世紀のころの華やかさが現代の私たちの目の前に広がる。
劇場の舞台正面の基部に掘られたレリーフが、これまた見事。ヘラクレスなどの彫像、劇のワンシーンを描いた様子などに目を奪われる。こんな貴重なものが無防備に、雨ざらしになっていていいの? と思うほどだが、雨の方はめったに降らないから安心なのか。
イメージ 5

今回の旅で一番驚嘆したローマ劇場。よくぞここまで残っていた

イメージ 6

舞台の下に描かれたレリーフ。鏡で自分の美しさを確認しているらしい踊り子たち

ベスの塔もひときわ目立つ。ベスとは古代エジプトの神で、魔よけとして信仰されていたという。フェニキアの時代に建てられたというから、カルタゴの繁栄を見守っていたのだろうか。やはり風化によりかなり浸食が進んでいた。

サブラタ観光のあとはトリポリに戻り、お城の中にある国立ジャーマヒリヤ博物館見学。ここにはリビア中から集められた貴重な文化財が展示されていて、ホントなら3~4時間かけてじっくり見学するところを、駆け足で見て回ったあと、帰国の途に。

10日間のリビアの旅。長いようで、あっという間の10日間だった。(終わり)