善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きょうのゲゲゲの女房

秋分の日の善福寺公園は曇り。今にも雨が落ちそうな雲行き。
いつもはワンサカいるウも数が少ない。サギの姿もなし。
下池を歩いていると変わったキノコ。
きょうはセミの声も聞こえないが、わが家のアサガオは元気一杯で、花の数を数えたら49個(写真はその一部)。
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NHKの「ゲゲゲの女房」もきょうを含めてあと3回。ついに手塚治虫(らしき人物)が登場!
水木プロ20周年記念謝恩パーティーの会場で、茂(向井理)と談笑しながら手塚治虫が一瞬、画面を横切る。セリフはなし。
すると今度は、布美枝(松下奈緒)の前を美女2人とともにゆっくりと横切る姿。なんと2回も登場!

「手塚さんがコンクリート舗装の大きな道を闊歩してきたとすれば、私は細く曲がりくねった悪路をつまづきながら歩いてきたようなものだ」(水木しげる「水木さんの幸福論」より)

以前、こんな話を書いた。(5月24日付)

手塚は若くしてチョー売れっ子作家であり、“漫画の神様”とまでいわれた人。一方の水木は紙芝居から貸本漫画と苦労をなめてきて、中年になってようやく売れるようになってきた人。しかしも、両者の作品はとても対称的で、むしろ互いに対抗意識を持っていたに違いない。
手塚の「どろろ」は水木の「鬼太郎」に衝撃を受けて、「おれにだって妖怪が描けるんだ」と作った作品といわれる。

こんなエピソードもある。手塚は出版社のパーティーでまったく面識のなかった水木に話しかけ、「あなたの漫画くらいのことは僕はいつでも描けます」といいはなったという。
水木はのちに手塚をモデルに「一番病」という作品を描いたが、「自分が世界で一番でなければ気がすまない棺桶職人の物語」だという。

手塚の没後、手塚治虫文化賞特別賞を水木が受賞した(03年)。このときのことを水木は『水木さんの幸福論』でこう振り返っている。

複雑な思いもあって、内定の連絡を受けて躊躇したが、賞金の百万円も目の前にちらつき、受けることにした。妻も二人の娘も「えっ、もらうの?」と言った。……

互いに張り合い続けてきた水木しげる手塚治虫。ドラマの最後では2人仲良く漫画の未来を語り合っているようで、水木、手塚の両方のファンにとってはうれしい。

そうやって感慨にふけっていたら、図書館から連絡があって、半年前に申し込んでいた『ゲゲゲの女房』の原作本の順番がようやく回ってきた。テレビが終わっても、今度は本で楽しむとするか。