朝の善福寺公園。きのうは雨で行けなかったが、きょうは曇り。涼しい風が吹いて比較的しのぎやすいものの、やがて暑くなる。
いつも弁天島の木の高いところにいるシラサギの姿なし。そばのアオサギもいない。
ウは相変わらず5、6羽。いつにも増してセミの声。
いつも弁天島の木の高いところにいるシラサギの姿なし。そばのアオサギもいない。
ウは相変わらず5、6羽。いつにも増してセミの声。
先日、井上ひさし追悼公演「黙阿彌オペラ」を観に行った会場に「二十一世紀を十年過ごして思う 母と子と日本の未来に贈る井上ひさし未来館の誓いと願い」と題する小冊子が置かれていた。作成者は「公益法人 弦 地域文化支援財団 代表理事 熊谷眞一」という方で、読んでみるとその思いは気高く、感銘深いものがあった。
熊谷さんは山形の「シベール」という会社の創業者で、現在は会長。地元出身の井上ひさしの志を受け継ぎ、「ここに来れば井上ひさしと話ができる、井上ひさしと一緒の人生を生きることができる、そして自分と家族とがが今生きている場所、ひいてはこの国と世界の未来を信じてみようと思える場所」として、来年の5月5日、「井上ひさし未来館」を開館する予定という。
小冊子を読んで感銘を受けただけでなく、熊谷さんが経営する「シベール」という会社の社名に強くひかれるものがあった。
同社のホームページを見ると、お菓子のメーカーとして全国的に知名度の高い会社ということだったが、社名の由来を調べたら、まさしくそうだった。
フランス映画「シベールの日曜日」に由来しているというのである。
同社のホームページを見ると、お菓子のメーカーとして全国的に知名度の高い会社ということだったが、社名の由来を調べたら、まさしくそうだった。
フランス映画「シベールの日曜日」に由来しているというのである。
「シベールの日曜日」を高校1年か中学3年ぐらいのとき、たしか日比谷の「みゆき座」で観ている(ああいうロマンチックというか純愛系はみゆき座で、「ベンハー」とか「アラビアのロレンス」といったスペクタクルないしは大作は日比谷映画とか丸の内ピカデリーとかだった)。
あのころは映画が好きで好きで、中高生のくせして有楽町や日比谷のロードショー館によく通ったもので、いろんな映画を見た中でも「シベールの日曜日」は鮮烈な印象を持っている。
冒頭にインドシナの戦場で戦闘機を操縦している主人公のピエールの顔のアップが映し出される。撃墜されたかして、ピエールは記憶喪失になり、帰国。今はパリの近郊(だったか?)で、看護師のマドレーヌと暮らしているが、戦場で少女を殺したと思い込んだ彼は毎夜うつうつとした思いで街をさまよい歩く。
ある日のこと、父親に修道院の寄宿舎に預けられ置き去りにされた12歳の少女と出会う。やがて2人は日曜日ごとに会うようになり、孤独同士、けがれのない愛情が育まれていく。
少女は、フランソワーズと呼ばれているが、実は違っていて、教会の屋根の風見鶏を取ってくれたら本当の名を教えてあげるという。(ところがピエールには高いところに立つとめまいがする病気があった。今でいうPTSDか)
少女は、フランソワーズと呼ばれているが、実は違っていて、教会の屋根の風見鶏を取ってくれたら本当の名を教えてあげるという。(ところがピエールには高いところに立つとめまいがする病気があった。今でいうPTSDか)
クリスマスの晩、少女はピエールに小箱を渡す。開けると中に紙切れがあって「Cybele(シベール)」の文字。少女の名はシベールだった。
ピエールは「あとで僕もプレゼントをあげるよ」という。
ピエールは「あとで僕もプレゼントをあげるよ」という。
ピエールは少女が眠っている間にナイフを片手に教会の屋根によじ登り、約束通り風見鶏を取り外す。ところが、ナイフと風見鶏を手にシベールのところに戻りかけたとき、少女誘拐犯にされたピエールは警官に射殺さる。
ピエールの死を知ったとき、警官に「君の名前は?」と聞かれたシベールは答える。
「もう、私には名前なんかないの。誰でもなくなったの!」
モノクロの、森の中のシーンがとても幻想的な映画だった。
「もう、私には名前なんかないの。誰でもなくなったの!」
モノクロの、森の中のシーンがとても幻想的な映画だった。
熊谷さんが「シベールの日曜日」を観て「シベール」というお菓子屋さんを始めたのは1965年(昭和41年)という。当然、映画を見たのはその前だろう。山形で観たのだろうか。あるいは日比谷みゆき通りの「みゆき座」だっただろうか。