善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

目黒散歩

晴天の土曜日の午前9時すぎ、善福寺公園をめぐったあと、足を伸ばして目黒まで行く。目黒駅から行人坂→大円寺五百羅漢寺目黒不動尊→祐天寺→祐天寺駅というコースを歩く。

行人坂はさすがの急坂。さる人の「(自転車で登れる)東京都心の檄坂15選」のうち、第1位が中目黒にある勾配23%の別所坂で、第2位が勾配20%の行人坂だった。なるほど檄坂(自転車愛好家はそう呼ぶらしい)である。

坂の途中にある大円寺は、江戸の初期、出羽湯殿山の修験者が大日如来を本尊として道場を開いたのが始まりという。境内左手のがけに沿いには500を超えるという石仏が並んでいる。1体1体違う表情で、赤ちゃんを抱く母親、プイと横を向く人など、さまざま。
イメージ 1


行人坂を下っていって、目黒雅叙園を横に見て、さらに進むと五百羅漢寺。ただし、近年、ビル式の堂舎にかわり、中に入るには200円いるというのでパスして、目黒不動尊へ。
不動明王を本尊とする関東最古の不動霊場だとか。そこで変わった狛犬を発見。ナントおじぎをしている。ただうなだれているだけか?
イメージ 2


目黒不動の裏手には、“甘薯先生”として有名な青木昆陽の墓がある。甘薯とはサツマイモのこと。江戸時代はじめに沖縄(琉球)を経て鹿児島に伝わり、当時はサツマイモではなく甘薯と呼ばれていた。吉宗の時代、昆陽は飢饉対策として甘薯栽培を勧め、後世に“甘薯先生”と呼ばれるようになり、墓も「甘薯先生之墓」として残っている。
イメージ 3


目黒不動に参詣したあたりで、もうお昼近く。ホントは「林試の森」まで足を伸ばす予定だったが、そっちはパスして、「油面(あぶらめん)」というところをめざす。そのそばに、本日行きたい蕎麦屋がある。それにしても「油面」とは不思議な地名だ。途中の案内板を見てナゾが解けた。

江戸時代の中ごろから、この辺り一帯では菜種の栽培が盛で、絞った菜種油は芝の増上寺や祐天寺の灯明用として使われていた。この油の奉納に付随して、絞油業に対する租税が免除されていたらしく、油製造により税が免ぜられている村、すなわち「油免」が、いつしか「油面」となった、というのが1つの説として伝わっているという。
しかし、案の定、せっかくの地名はとっくの昔になくなって、今は「中町一丁目」とか「中央町二丁目」などと素っ気ない地名に変わり、それでも「油面小学校」「油面公園」といった名称だけは何とか残っている。

目黒通りを西に行き、「油面」を左に曲がり、さらにエンエンと歩いていって、お目当ての「紫仙庵」という蕎麦屋へ。お酒と蕎麦で大休止。その後、祐天寺の境内をのぞいて、祐天寺駅からわが家へと帰り着いたのは夕方だった。
本日行った「紫仙庵」はとてもおいしかったので、別項で記す。
また、目黒競馬場跡もみたかったが、それもまた後日。