善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

トルコ15日間の旅 その3

トルコの旅4日目の6月23日はカッパドキア洞窟ホテルに連泊して終日カッパドキア観光。
朝の洞窟ホテル
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ホテルの前から奇岩の世界が広がっている。
何万年、いや何十万年にもおよぶ自然の力の凄さを示す、浸食によってできた不思議な光景。
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しかし、人々は見渡す限りの奇岩をただ見物するためではなく、生きるための道具として巧みに利用してきた。
火山性の溶岩のひとつである凝灰岩は、花崗岩のように固くはなく、比較的掘りやすくて細工がしやすかった。しかも、浸食に耐えた部分は掘りやすい割には意外と頑丈だった。
そこで人々は、奇岩を人の住む住居に変えた。
カッパドキアは古代にあっては東西交通が行き来する要衝の地だったから、行き交う人々によってもにぎわったという。
すでにBC1650~1200年ごろのヒッタイトの時代から奇岩を穿ってつくられた洞窟住居に人が住んでいたという。
キリスト教徒たちもここにやってきて、洞窟に修道院をつくるようになった。
なぜ彼らはここにやってきたのか? 一説にはローマ帝国時代(1~4世紀)に迫害を受けたキリスト教徒が隠れ家として利用するためにここにやってきたともいわれるが、むしろ彼らは修行の場として、自らすすんでこの奇岩地域に移り住んだのではないだろうか。

洞窟や岩山は昔から修行者が悟りを開き開眼する場所だった。
達磨大師は悟りを開くまでの9年間、洞窟の中で誰とも会わず 壁と向き合って過ごしたという。
中国やインド・ヒンズー教の石窟寺院もよく知られている。

カッパドキアには最盛期、10万人もの修道士たちがいたという。
しかし、現在はここにはキリスト教徒はいなくて、修道院には誰も住んでいない。
なぜなら、1923年にギリシャとトルコの住民交換が行われ、トルコに住んでいるキリスト教徒はギリシャ人とみなされギリシャに、ギリシャに住んでいるイスラム教徒はトルコ人とみなされトルコに、それぞれ追放されてしまったからだ。

洞窟修道院の中心地のひとつがギョレメ地区で、一帯には350~500もの教会があったという。現在は約30の教会が野外博物館として公開されており、修道士たちが描いた鮮やかなフレスコ画などが残されている。

ギョレメ野外博物館の入口。
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岩山を掘ってつくられた修道院
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修道院の中は祈祷・読書・布教など宗教活動を行うための聖堂部分、居間・食堂・寝室・倉庫などの居住部分があり、彼らはここで質素で静寂な日々を送っていたのだろう。

食堂跡。
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壁に描かれた十字架。
赤い色の顔料で描かれていて、丸い形はまるで太陽のようだ。
丸に十字はアイルランドケルト十字に似ている。
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聖母子と思われるフレスコ画も赤い色で描かれている。
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ほかにも写真撮影は許されなかったが青が美しい修道院もあって、青色の原料はラピスラズリだという。

カッパドキアには岩山をくり抜いてつくられた地下都市もあり、そのひとつがカイマクルの地下都市。元は今から4500年前にヒッタイト人がつくった地下都市だが、その後キリスト教徒が隠れ住んだといわれる。
何と地下8階まであり、公開されているのは地下4階まで。
地下都市の入口。
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中には教会やワイナリー、食料庫、トイレ、居間、台所などがあり、敵の侵入を防ぐための丸い形をした重そうな岩の扉もあった。
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夕食はレストランで。壺焼きケバブは壺が燃えていた。
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燃えるケバブに刺激されてワインはボトルを注文。
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