善福寺公園めぐり

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クレスピ・ダッダとスカラ座コンサート 北イタリアの旅23

北イタリアの旅も残り3日。
旅行14日目の6月8日(木)は朝からミラノ郊外、というよりベルガモの南西15キロにあるクレスピ・ダッダへ。
「クレスピ」とはロンバルディア州屈指の綿織物工場の経営者だった人の名前。そのクレスピ氏が産業革命期の19〜20世紀初頭、自分の工場の労働者とその家族のためにアッダ川のほとりの所有地内につくった企業村が「クレスピ・ダッダ(アッダ川のクレスピ)」で、世界遺産に登録されている。

ホテルの近くのミッソーリ駅から地下鉄に乗り、ミラノ・セントラル駅を経由して地下鉄M2線終点のジェッサーテ下車。時間にして40分ほど。だんだん車窓の風景が田舎っぽくなっていく。
そこからバスで25分ぐらい乗って、終点(たぶん)のテレッゾ下車。
とにかく地下鉄もバスも終点で降りればいいから乗り越す心配はない。

駅前から乗った「310番」のバス。終点で客を降ろすと、Uターンして引き返して行った。
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テレッゾから
エンエンと30分ぐらい歩くと、目的地に着く。

クレスピ・ダッダのすぐ隣にある教会で、結婚式に遭遇した。
新婦が父親とバージンロードを歩いているところ。
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教会の先がクレスピ・ダッダ
世界遺産だけに案内のオフィスがあり、スタッフも一人いたが、日本語のパンフレットはなし。とくにガイドがいるわけでもなく、地図をもらっただけだった。
この日、ほかに観光客は男女1組だけで、それもちょっと見てすぐ退散したらしく、人っけはなく、静寂この上なかった。

道路を隔てて右側が工場で、左側が住宅。
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工場は紡績工場だが、今は閉鎖され、工場跡はそのまま残ってはいるが廃墟のようになっていた。立ち入りもできない。
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道をへだてて労働者用の家が並ぶ。すべて戸建てで、学校、病院、教会などもあって、当時の労働者にとっては理想郷ともいえる環境が整っていただろう。
こちらには今も人が住んでいて、一部は当時の労働者たちの子孫だという。
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昔の共同洗濯場。
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どの家も庭に花が咲き乱れていた。
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クレスピ・ダッダのすぐそばのカフェレストランで昼食。
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ビール。
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ピザ。
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帰りも30分ぐらい歩いてバス停へ。
途中、アッダ川に架かる橋の上からのながめ。
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ミラノに戻って「アンブロジアーナ図書館」へ。
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1607年につくられた図書館。1609年から公開された。公開の図書館としてはオックスフォード大学ボドリーアン図書館(1602年公開)、ローマ・アンジェリカ図書館(1604年公開)に次いで、西洋史上3番目とされる。
中は撮影ができなかったが、レオナルド・ダ・ヴィンチの「アトランティコ手稿」が公開されていた。
アトランティコ手稿はメモや素描などを集めたもので、内容は、数学、幾何学天文学、植物学、動物学、土木工学、軍事技術その他多岐にわたる。1478年~1518年ごろに書かれたという。

いったんホテルに戻って、北イタリアの旅の最後の夜はスカラ座でのコンサート。
演奏はスカラ座フィルハーモニー管弦楽団。指揮はスカラ座音楽監督リッカルド・シャイー。ヴァイオリンはアンネ=ゾフィー・ムッター。
シャイーはこの秋に来日が予定されている。
ムッターは13歳でカラヤンに認められベルリン・フィルと共演した元天才少女。
曲はブラームスの「ヴァイオリン協奏曲ニ長調op.77」、やはりブラームスの「交響曲第4番ホ短調op.98」。
入口のポスター。
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座ったのは、オペラのときは平土間だったが、今回は2階のボックス席最前列。
眺めとしてはここからのほうがいい。
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円熟したムッターのヴァイオリン。
交響曲第4番第2楽章のさざ波のような響きに心揺さぶられる。

アンコールも盛大だった。
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夜8時の開始だからコンサートが終わったのはかなり遅い時間。
コンサートの余韻に浸りながらホテルへ帰る途中の店でイッパイ。
リストランテ・ダ・ブルーノ」という店。
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ワインは白。
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サラダ。
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ボンゴレスパゲッティ。
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かくてミラノの最後の夜は終わる。
(つづく)