善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

「陸王」が問う企業とは何か?

遅ればせながら池井戸潤陸王』(集英社)を読む。

行田市にある足袋づくり100年の歴史を持つ老舗零細メーカー「こはぜ屋」が世界のブランドメーカーに抗してランニングシューズづくりに挑む物語。
陸王」とはこはぜ屋がつくるシューズの名前。
読み始めてすぐに物語のその後の展開も結末も見えてしまうし、はっきりいって人物描写は類型的で深みがないんだが、それがかえってよかったのだろう、読みやすいからつい話に引き込まれて600ページ近くある本をイッキに読んでしまった。
作者の小説づくりのうまさゆえか。

読んでいてナルホドと思う場面があった。
物語の最後の方で、ついに思い通りのランニングシューズ「陸王」が完成するが、機械が壊れて新たに機械を作り直さなければいけなくなる。そのためには1億円の設備投資が必要だが、そんな金はないし、金融機関からの融資もムリ。
陸王」の生産を諦めるしかない、そうなれば会社も倒産、と窮地に立ったとき、救いの手をさしのべたのが日本人が経営するアメリカの新興アパレルメーカーだった。
「会社を売りませんか?」と会社の売却を求めてきたのだ。
そのアパレルメーカーに買収されて子会社となり、資金を得て「陸王」を製造してはどうか、というのだ。

思い悩んだこはぜ屋の社長宮沢はアパレルメーカーの社長御園に問う。
「買収されて、足袋づくりの本業が苦しくなったとき、あるいはランニングシューズづくりがうまくいかなくなったとき、親会社の中でこはぜ屋はどんな位置づけになるのか?目標とする利益率を上げられなければ、いっそ潰してしまおうとか売却される運命になるのか?」
すると御園は「そうならないようにするのが企業経営なんだから、利益率で切られるのがイヤなら利益率を上げる工夫と努力をしていくべきでしょう」と答える。

これに対して宮沢はこう反駁する。
「利益率を上げることを最優先にしてしまったら、足袋製造をやめなければいけない。そもそも足袋製造の利益率は高収益体質からはほど遠いもの。収益競走から離れた場所にいるからこそ、守られてきたものもあるんです」
「もちろん、利益を追求することを否定するつもりはありません。ですが、われわれの存在意義はそれだけじゃない」

金儲けするだけが企業の存在意義なのか?
企業とは何か、の根源的問題がこの問いかけにある気がした。