善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

木内昇「光炎の人」

木内昇「光炎の人」(上下巻、角川書店)を読む。

技術(というより技術者、科学者)がいかに時代の動きと密接に結びついていて、ときとして暴走さえしてしまうことを教えてくれる小説だった。
その意味で、読んでいておもしろかったが、読後感は重い。

時は明治。徳島の貧しい葉煙草農家に生まれた少年・音三郎の運命を変えたのは「電気」との出会いだった。
朝から晩まで一家総出で働けども、食べられるのは麦飯だけ。暮らし向きがよくなる兆しはいっこうにない。
機械の力を借りれば、この重労働が軽減されるに違いない。
みんなの暮らしを楽にしたい――。
「電気は必ず世を変える」という確信を胸に、少年は大阪へ渡り、そして東京、やがて満州へ・・・。

筆者は東日本大震災での原発事故を目の当たりにしてこの小説を書こうという気持ちになったという。

原子力というのも、もともとは善意から出発したのは間違いない。
世のため人のために活躍する「鉄腕アトム」だって原子力で動いている。原子力は夢のエネルギーと考えられたからだ。
しかし、ひとたび事故を起こすと人類を破滅にまで追いやる危険を持っていることを、あの原発事故は証明した。特に地震国日本においては。
だからどんなに便利でおトクなエネルギーであっても日本ではもはや動かしてはいけないシロモノなのだ。

ところが、そこに政治が絡むと、教訓は教訓だけに終わってしまう。
あの悲劇的事故からまだ何年もたってないのに何ごともなかったように原発再開の動きが始まり、あの能面のような顔をした田中俊一氏(原子力規制委員会委員長で物理学者)は淡々と原発再稼働にOKサインを出し続けている。

あの小説は決して遠い過去の話を描いているのではない。そこに寒けを覚える。