善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

絹の道資料館と蕎麦ひのや

日曜日の8日は八王子にある「絹の道資料館」へ。
「絹の道」とは、横浜が開港し、鉄道が発達する明治の中ごろまで、つまり幕末から明治の初めごろにかけて栃木、群馬あたりから横浜まで輸出用の生糸が運ばれたルートの1つという。
「絹の道」の中継地として賑わったのが八王子市の鑓水(やりみず)という地域で、鑓水の村名主で豪商だった八木下要右衛門の屋敷跡に立てられたのが「絹の道資料館」である。

JR八王子から横浜線に乗り換えて橋本駅下車。そこからバスに乗って多摩美大の次のバス停、絹の道入口で降りて、坂を上っていくとそこは田園地帯だった。
資料館の前には田んぼが広がっていて、ちょうど地元の人たちが「どんど焼き」の準備をしていた。
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どんど焼きは昔からの小正月(こしょうがつ=1月15日)の行事で、正月の松飾りや注連縄(しめなわ)なんかを家々から持ち寄って燃やし、1年間の無病息災を祈る行事。
「1月15日に開催します」の看板も出ていたが、参加者には甘酒とともに「まゆ玉だんご」をプレゼントの文字もあり、さすが「絹の道」らしい。それにしても、1週間も前から用意しているんだね。
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この地域はいろいろと地域振興に力を入れているようで、すぐそばにはビオトープがあり、大きなホタルのモニュメントが。
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聞くところによると、ここ鑓水地区は昔からホタルの里として知られていたが、都市化の波に逆らうことはできず、いつしかホタルは姿を見せなくなってしまった。そこでホタル再生に取り組むグループがあらわれ、ついに2、3年ほど前にホタルの繁殖に成功。“鑓水生まれ”のホタルを蘇らせることができるようになったという。

夏には今年もホタルが飛び交うのだろうか。

そのビオトープの向かいにあるのが「絹の道資料館」。
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八王子市教育委員会が管理しているらしいが、入場無料で自由に見学することができる。

知らないこともいろいろあって勉強になった。
たとえば、横浜港が開港したころの主な輸出品は、1860年(万延元)が生糸65%強で次がお茶、銅と続くが、2位のお茶は10%弱で圧倒的に生糸が多い。これが10年後の1870年(明治3年)になると生糸は40%ほどに減って、お茶の割合が増えるが、ほかに蚕種が全体の30%を占めるようになり、依然として絹がらみの輸出が多数を占めていて、このころはすでに銅の輸出は衰退していたようだ。
ちなみに蚕種とはカイコの卵のこと。日本の絹がらみ輸出は今なら自動車輸出みたいに花形だったのだろう。

ただし、この資料館、暖房はぜんぜんなく、吹きっさらしの極冷え。長時間いると凍えてしまいそうで、せいぜい見学するのは30分が限度。一方、職員はあったかい暖房の部屋でヌクヌクしていた。
まったくお役所仕事はこれだから困るね。
しかも資料館入口に貼ってあったバスのダイヤは改訂前の古いままだったようだ。これを信じてバス停に向かったところ1時間に2本しかないバスに乗り遅れてしまった。
それで次のバス停まで歩いて健康にはプラスになったが。

でも、武蔵野の自然の中、どんど焼きの風景に出会って昔ながらの正月気分を味わえたのはよかった。

橋本駅に戻るとちょうどお昼時。
駅前のイオンの隣にある「蕎麦ひのや」というそば屋へ。
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極冷えで凍えた体を癒すには中から温めるしかないと熱燗を注文。
つまみは、鴨のつくね。
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メゴチの天ぷら。
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どちらもうまい! というんでついお銚子を重ねる。
〆は二段せいろ。
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そばもおいしくて、料金はなかなかリーズナブル。
あったかい心持ちになって帰還。