善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「博士と彼女のセオリー」「コンパートメント No.6」

フランス・ラングドック・ルーションの赤ワイン「ル・フルイ・デフォンデュ・ルージュ(LE FRUIT DÉFENDU ROUGE)2022」

(写真の料理は、本日のメインディッシュ、チーズフォンデュ

ブルゴーニュのワイン一族として高名なラフォン一族の末裔が南フランスで営むドメーヌ・マゼランのワイン。

「ル・フルイ・デフォンデュ」とはフランス語で「禁断の果実」という意味を持っていて、聖書によれば、エデンの園の善と悪の知恵の木から採れるリンゴを指し、禁じられているためかえって欲望をそそる快楽を意味するのだとか。

サンソー、シラー、グルナッシュをブレンド

 

ワインの友で観たのは、NHKBSで放送していたイギリス映画「博士と彼女のセオリー」。

2014年の作品。

原題「THE THEORY OF EVERYTHING」

監督ジェームズ・マーシュ、出演エディ・レッドメインフェリシティ・ジョーンズ、チャーリー・コックスほか。

難病に立ち向かい宇宙論などの研究を続けたイギリスの天才物理学者スティーブン・ホーキング博士の半生と博士を支え続けた妻ジェーンとの愛情を描いた伝記映画。

 

物理学の天才として将来を期待される青年スティーブン・ホーキングエディ・レッドメイン)は、ケンブリッジ大学在学中、中世スペインの詩を研究していたジェーン(フェリシティ・ジョーンズ)と出会い、恋に落ちる。

しかし、直後にスティーブンはALS(筋萎縮性側索硬化症)を発症。余命2年の宣告を受けてしまう。それでもジェーンはスティーブンと共に生きることを決め、2人は力を合わせて難病に立ち向かっていく・・・。

 

1999年に初版が出版された最初の妻ジェーン・ホーキング著「無限の宇宙 ホーキング博士とわたしの旅」を映画化。

映画化されたときホーキング博士は健在で、本作の製作にも協力し、映画の中で使用されていたホーキング博士の電子音声は本人が提供したものだった。

博士はホーキング役のエディ・レッドメインの熱演に心を打たれ、「ところどころまるで自分を見ているようだった」とコメントしている。

レッドメインは本作でアカデミー賞主演男優賞を受賞。ホーキング博士は本作の4年後に亡くなっている。

原作者のジェーン・ホーキングはホーキング博士と30年間結婚生活を送り、2人の間には3人の子どもがいた。映画で描かれているのは、博士の研究よりも2人の関係であり、愛の行方だった。ジェーンが語る実話にもとづき、天才科学者の家庭の内側に迫っていく。

 

余命2年と診断されたホーキング博士はその後も研究を続け、物理学者として世界的な有名人となり多忙を極めるようになっていった。同時に病気は進行し、その介護疲れの中で、2人の間には溝が生じ、1995年に離婚してしまう。

彼女はその2年後に博士の家に出入りしていた音楽教師と再婚。ホーキング博士も彼の介護にあたった看護師と再婚するが、やがて離婚。ジェーンは難病を押して研究を続ける博士の支援にあたったという。離婚しても、博士のことを最も理解しているのはジェーンだったのだろう。

だから映画の最後は、宇宙の始まりの“ビッグバン”をたどるように、時間がどんどんさかのぼっていって2人の愛の始まりのころに行き着く。

原題の「THE THEORY OF EVERYTHING」とは、世界中の物理学者が追い求めている自然界のすべての現象を説明できる法則、つまり「万物の理論」の意味だという。

ひょっとして“愛”こそが、究極の「THE THEORY OF EVERYTHING」なのかもしれない。

 

ところで、本作を見ていて「へえー」と思ったのが、ホーキング博士社会主義者だったというところだった。

1982年、博士が大英帝国勲章を授与されることになったとき、妻のジェーンは「あなたは自由社会主義者なのだから、ナイトの称号は辞退するでしょうね」みたいなことをいっていた(実際、博士はナイト爵位を授けるといわれたとき断っている)

博士は無神論者だったが、それは科学者の常としてわかる気がするが、社会主義者だったとは知らなかった。ちなみに自由社会主義とは私有財産の容認など資本主義の要素も取り入れた社会主義をさすらしい。

しかし、調べてみると偉大な科学者の中には社会主義者、あるいは共産主義に共感を持つ人が少なくないようだ。

その一人、アルバート・アインシタインは1949年、アメリカの左翼雑誌に「なぜ社会主義か」と題して寄稿していて、「(今の社会が抱える)深刻な害を取り除くためには一つしか道はないと確信している。すなわち社会主義経済と社会の目標に向けた教育システムの確立である」と述べている。

「原爆の父」として知られるアメリカのJ・ロバート・オッペンハイマーは、妻や兄弟がアメリ共産党と関係を持ち、自身も一時共産主義に傾倒して、戦後、水爆開発に反対したことなどから公職追放された。

アインシュタインオッペンハイマーより年下だったホーキング博士もやはり社会主義者で、平和を希求する核兵器反対運動家のひとりだった。政治の動きにも敏感で、ベトナム戦争に反対し、イラク戦争は虚偽にもとづくアメリカの戦争犯罪だと断じ、パレスチナにおけるイスラエルの行動を強く非難している。

彼はイギリス労働党の支持者だったようで、労働党の最左派に属し民主社会主義の立場に立つ政治家、アナイリン(ナイ)・ベヴァンが労働党政権時代に創設した国民保健サービス(NHS)に絶大な支持を寄せていた。

イギリスは保守党のチャーチル政権下で格差が広がり、貧しい人たちはお金がなくて満足に医療を受けられない現実にあえいでいた。そんなときに立ち上がったのが、炭鉱労働者を父に持ち、政治家となってからは生涯を社会正義と労働者の権利擁護のために尽くしたベヴァンだった。

彼は保健大臣に就任すると、税金や国民保険料で運営される公的医療サービスであるNHSを創始。国民が等しく医療サービスを受けられるNHSの恩恵を受けたのがホーキング博士だった。

博士は、ALSを発症して以降、自分を支えてくれたのはNHSだったと力説していて、さらにこう述べている。

「私はNHSで多くの経験を積んできた。そして、私が受けたケアのおかげで、私は自分の望むように人生を生きることができ、宇宙についての理解の大きな進歩に貢献することができた」

ブラックホールと宇宙の起源に関する自身の理論を構築することができたのも、貧しい人に手を差し伸べる公的医療サービスのおかげだと語っているのだ。

NHSの設立のとき、その理念にもなったベヴァンの次の言葉も心に残る。

「病気とは、人々が金銭を払ってする道楽ではないし、罰金を払わねばならぬ犯罪でもない。それは共同体がコストを分担すべき災難である」

ちなみに、ナイ・ベヴァンの功績はイギリスで今も高く評価されていて、彼を主人公にした伝記劇が今年の2月~5月、ロンドンのナショナル・シアター・オリヴィア劇場で「ナイ~国民保健サービスの父~」と題して上演され(主演はマイケル・シーン)、その舞台映像がナショナルシアター・ライブとして世界に配信されている。また、今年の舞台が評判だったことから、来年2025年7月~8月、同じオリヴィエ劇場での再演が決まっているという。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたフィンランド・ロシア・エストニア・ドイツ合作の映画「コンパートメント No.6」

2021年の作品。

原題「HYTTI NRO 6」(フィンランド語で「HYTTI」は「コンパートメント」の意味)

監督・脚本ユホ・クオスマネン、出演セイディ・ハーラ、ユーリー・ボリソフ、ディナーラ・ドルカーロワほか。

フィンランド発のロードムービーで、世界最北端の駅へ向かう列車を舞台に、最悪の出会いで始まる最愛の旅を描く。

 

ソビエト連邦の崩壊から間もない1990年代のロシア・モスクワ。フィンランドからの留学生で考古学を専攻するラウラ(セイディ・ハーラ)は、大学教授のイリーナ(ディナーラ・ドルカーロワ)という年上の女性と恋人関係になっていた。2人はペトログリフという岩に彫られた古代彫刻を見るため、北極圏にある最北の鉄道駅ムルマンスクまで列車で行く計画を立てる。ところが、イリーナは仕事が入ったといって直前にキャンセル。ラウラは仕方なく一人でムルマンスクに向かう。

そこで彼女と同じ列車のコンパートメントで乗り合わせたのは、鉱山で働くためにムルマンスクに向かうロシア青年のリョーハ(ユーリー・ボリソフ)だった。

彼は席に座るなり酒を飲んで酔っ払い、「君は娼婦なの?」と話しかけてきたりして、見るからに粗野な男だった。イリーナとの楽しい時間になるはずだった列車の旅は、最悪のスタートとなってしまう・・・。

 

フィンランド映画といえばアキ・カウリスマキ監督の作品が頭に浮かぶが、ほかにも注目の監督がいた。本作の監督ユホ・クオスマネンがその人で、1979年生まれというから今年45歳。本作が長編第2作目の新鋭だ。長編デビュー作の「オリ・マキの人生で最も幸せな日」は第69回カンヌ国際映画祭ある視点部門の作品賞に輝き、本作は第74回カンヌ国際映画祭コンペティション部門でグランプリに輝いた。

 

映画が始まって長距離列車のコンパートメントに2人が乗り合わせ、1人は考古学を学ぶヒロインで、もう1人はウオツカとタバコにまみれ、粗野で言葉もぞんざいなロシア人の炭鉱労働者。あまりに態度が悪いので、ヒロインは席を変えてくれと車掌に訴えるが、取り合ってくれない。

列車のコンパートメント席は日本では見ないがヨーロッパではよくあり、何人かが1つの個室で相席になる。本作の場合、見知らぬ男女が個室で2人っきりになるのだから、絡んできたりしてイヤな相手だったらとても我慢できないだろう。

しかも2人とも目的地は同じムルマンスクで、モスクワからはかなり遠い。約1500㎞もあって、今と違って(今もモスクワ・ムルマンスク間は鉄道で35時間ぐらいかかるらしいが)目的地到着までは3、4日を要し、途中駅では何時間も停車したり、列車が一晩駅に停車することもある。

そんな時間のかかる列車の個室で、悪態をつく男にジッと耐えなければいけないなんて、まさしく“最悪の旅”といいたくなる。

そう思って彼女に同情しながら観ていくと、途中から様子が変わっていく。

粗野に見えた男は、根は純情で、人との付き合い方がヘタで不器用なだけなのだということがわかってくる。

彼女は、男を見ているうちに自分も実は男と同じではないかと思ってくる。自分だって不器用な生き方をしていて、コミュニケーションもヘタで、付き合っていると思っていた大学教授からも疎んじられていることに気がつく。

やがて2人は少しずつ距離を縮めていって、次第に理解し合うようになっていく。

映画の中で、彼女が最も彼に心を許すようになったのは、見た目とは裏腹に、彼のまごころというか、根っこのところにある彼のやさしさを知ったことからだった。

観終わって、心があったかくなる映画だった。

 

原作はフィンランドの作家、ロサ・リクソムの同名の小説。2011年に出版され、同年のフィンランディア賞(フィンランド国民によって書かれた最も価値のある小説を表彰するフィンランド最大の文学賞)を受賞している。

原作の小説は、1980年代の崩壊前夜のソ連が舞台で、モスクワで考古学を学んでいたフィンランド人の女性がモンゴルのウランバートルにある古代の岩絵を見たいと列車に乗り、殺人で刑務所に収監されて現在はシベリアの建設現場に向かっている40代のロシア人の男と同じコンパートメントで旅をする物語となっている。

日本では翻訳されていないが、フィンランドだけでなく海外でも高く評価されたようだ。

2016年にはアメリカでも出版され、「ウォール・ストリート・ジャーナル」は次のように評している。

「2016 年のベスト本は、現実の騒音から逃れ、読者に別の場所の魔法と謎を見せてくれた本でした。ロサ・リクソムの『コンパートメントNo. 6』は、1980 年代半ばにモンゴルに向かう列車に一緒に閉じ込められた若い女性とみすぼらしい建設作業員の間に生まれた絆を描いています」

ほかにも、「『コンパートメントNo. 6』は詩のように展開します。風景と永続的な生存の余韻が残ります」(ミネアポリスの日刊紙スター・トリビューン)などの賛辞が紹介されている。

原作も読んでみたくなった。