善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「歌うつぐみがおりました」「国際諜報局」

フランス・ローヌ地方の赤ワイン「モンフラン・ラ・トゥール・ルージュ(MONTFRIN LA TOUR ROUGE)2022」

ワイナリーはシャトー・ド・モンフラン。

フランスの認証企業ビューローベリタスからオーガニック認証を取得した自社畑で栽培したシラー、グルナッシュ、カベルネ・ソーヴィニヨンブレンド

生き生きとした赤系果実味を備えるチャーミングな仕上がりの1本。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していたジョージア映画「歌うつぐみがおりました」。

1970年の作品。

原題「IKHO CHACHVI MGALOBELI」

監督・脚本オタール・イオセリアーニ、出演ゲラ・カンデラキ、ジャンスグ・カヒーゼ、マリーナ・カルツィヴァーゼほか。

ジョージアの首都トビリシを舞台に、自己中心的でお調子者だがどこか憎めない青年のせわしない日常を描く。

 

オペラ劇場のオーケストラの一員であるティンパニー奏者ギア(ゲラ・カンデラキ)は遅刻の常習犯で、練習のときのみならず演奏会にもたびたび遅刻する。本番中にも、出番の合間に会場を抜け出して街へと繰り出し、終演間際に慌てて戻って来てどうにか最後の一打に間に合わせる始末。

女性や友人、家族に対してもルーズな彼は、約束を交わしては忘れたり、突然家に押しかけたりと自分勝手な行動を繰り返すが、その憎めない人柄は周囲の人々を魅了していく・・・。

「落葉」に続くイオセリアーニ監督の長編第二作で、旧ソ連時代の作品。日本では2004年開催の特集上映「イオセリアーニに乾杯!」で初公開された。

何かに追われるように毎日を慌ただしくすごし、結局はすべてが中途半端になっているのが主人公・ギアの生き方。時間に縛られて生きる人々とは好対照だが、自由気ままにしている結果か、思いもよらない結末となる。

監督は、ジッとしていることができずにあくせく動き回る男を描くことで、現代人を戯画化し、人間の弱さと愚かさを風刺したかったのだろうか。

 

映画を観ていて注目したのが酒場のシーンだ。

テーブルを囲んで料理とワインを楽しんでいたオジサンたちが、声を合わせて合唱を始める。おそらくジョージアの民謡なのだろうが、朗々と歌うハーモニーがすばらしく、魅了されて聴き入った。

実はジョージアには「ポリフォニー(多声音楽)」と呼ばれる伝統的な合唱文化があり、ユネスコの世界無形文化遺産に登録されているほどなのだそうだ。

酒を酌み交わしていい気分になった男たちが、仲間と一緒に歌い出す。それが見事なハーモニーとなり、力強く、ときにやさしく響き渡っていく。

9年前の7月、ジョージアを旅行したときのことを思い出した。

ビアホールのような広々としたレストランで食事をしていたら、オジサンたちのグループが立ち上がって輪になって陽気に歌い出した。朗々として、しかも見事なハーモニーを奏でていたが、イッパイやっていい気分になると合唱を始めるのがジョージアの人々なのだろう。

下の写真はそのときの光景で、みんな楽しそうに歌っている。

ポリフォニーの起源は古く、紀元前1世紀ごろから歌い継がれた伝承文化であり、コーカサスの山岳民族の間で定着していたものといわれる。

メロディーも、日本人にはどこか懐かしく聞こえるのは、西洋と東洋の融合があるからだろうか。

おそらく元は遊牧民たちが歌う労働歌であり、そこから発展した儀礼歌、恋愛歌、哀悼歌などどして歌い継がれていったのだろう。

ジョージアポリフォニーの特徴は、複数の異なるパートが協調し合うところにあり、合唱の原点ともいわれているのだとか。歌い手たちは、一人一人は勝手に歌っていて自己を主張しながらも、暗黙のうちに呼吸を合わせて、それが複雑でなおかつ絶妙なハーモニーとなっていく。

まるでイオセリアーニ監督がつくる映画のようではないか、とも思った。

イオセリアーニ監督の映画では、登場人物たちのセリフは少なく、それぞれが勝手にというか、関係性が希薄なまま物語が進行していることが多い。しかし、結末に至ると突拍子もないハーモニーを織りなしていることに気がつく。

とすると、イオセリアーニ監督の映画もまた、ジョージア独特のポリフォニーの世界なのかもしれない。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたイギリス映画「国際諜報局」。

1965年の作品。

原題「THE IPCRESS FILE」

監督シドニー・J・フューリー、出演マイケル・ケイン、ナイジェル・グリーン、ガイ・ドールマン、スー・ロイド、ゴードン・ジャクソンほか。

イギリスの作家レイ・デイトンの小説を脚色したスパイ・サスペンス。

 

英陸軍軍曹ハリー・パーマー(マイケル・ケイン)は不正を働いて陸軍刑務所に服役中、諜報局長のロス大佐(ガイ・ドールマン)のはからいで情報局に転属させられた。

核開発に携わる科学者のラドクリフ博士が誘拐される事件が発生し、大佐はパーマーをドルビー少佐(ナイジェル・グリーン)をトップとする内閣直属の諜報機関に派遣して、博士探索に当らせる。すると、犯人は、誘拐した科学者を東西両陣営のどちらかに売る兇悪な営利誘拐組織暗号名「ブルージェイ」と判明。

パーマーは苦心の末、犯人との接触に成功。しかし、何とか助け出したラドクリフ博士は特殊な方法で洗脳されていて、精神に異状を来していた。そしてまた、犯人グループに捕らわれたパーマーも、過酷な洗脳装置にかけられることになる・・・。

 

原題の「THE IPCRESS FILE」は原作者のレイ・デイトンが1962年に発表したスパイ小説と同じタイトル。

「IPCRESS」とは「Induction of Psychoneuroses by Conditioned Reflex under Stress」の頭文字をとった造語で、意味は「ストレス下の条件付き反射による精神神経症の励起」とかいうのだそうで、要するに本作は、冷戦下の東西対立を背景に新型の洗脳マシーンを用いた諜報戦を描くスパイ・スリラー。

とても怖そうな映画なのだが、それにしては主人公でマイケル・ケイン演じるパーマーは、最後の方では主役らしいカッコいいところを見せるものの、前半部分はまるでダメな、役立たずの諜報員として描かれている。

何しろ風貌からしてダサイ感じの黒縁メガネをかけ、仕事への意欲もあまり感じられない、いかにもテキトーなサラリーマンふう。料理は好きでマメにやってるみたいで、スーパーに買い物に行っては缶詰のマッシュルームはフランス産がいいとかいったりしている。

本作は1965年の作品だが、イギリスのスパイアクションものといえば、その3年前の1962年に第1作目がつくられた「007」シリーズの敏腕情報員ジェームズ・ボンドがいる。

ジェームズ・ボンドのほうは身のこなしは超人的でしかもジェントルマン、キザでカッコよくて女性にモテるプレイボーイで申し分ないのに、その対極にあるのが本作のハリー・パーマー。

実は本作は、あえてジェームズ・ボンドとは対極のヒーローとしてハリー・パーマーを登場させたのだそうだ。

そもそも原作である小説からしてそれが目的で、イアン・フレミングの作により、キザなプレイボーイ・スパイのジェームズ・ボンドが小説で人気になり、映画化されるというとき、そのアンチテーゼとして執筆され、1962年に出版されたのが原作の小説「THE IPCRESS FILE」だったという(原作者のレイ・デイトン自身は、版を重ねた本の序文の中で「そんなつもりはない」と否定していて、「(上流階級ふうなボンドに対抗して)労働者階級の十字軍として書いたわけではない」といってるようだが)。

 

今では90歳をすぎているマイケル・ケインが実に若い。このとき32歳。

対極とされるジェームズ・ボンドが身のこなしもしゃべり方も上流階級ふうなのに対して、ハリー・パーマーは育ちの悪さ丸出しの下層階級なまりが特徴だそうだが、ケイン本人も労働者階級の出で、下町なまりの強さが有名な役者という。それで彼がキャスティングされたのかも?

一方、ジェームズ・ボンド役のショーン・コネリーも実は労働者階級出身で、役柄のために発音の矯正が大変だったらしい。

おもしろいのは、「007」も本作も、同じ人物(ハリー・サルツマン)がプロデュースしていること。あえて対極の映画をつくって人気を二分させたかったのだろうか。