善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「母なる証明」「RRR」

スペイン・カタルーニャの赤ワイン「サングレ・デ・トロ・レゼルヴァ(SANGRE DE TORO RESERVA)」

(写真はこのあと豚ステーキ)

フランスとの国境に近いバルセロナの近郊、ペネデス地方でワインを造り続けて140年以上の歴史を持つトーレスの赤ワイン。

グルナッシュとシラーをブレンド。エレガントな味わい。

 

ワインの友で観たのは、民放のCSで放送していた韓国映画母なる証明」。

2009年の作品。

原題「마더」(母を意味する韓国語)

監督・原案・脚本ポン・ジュノ、出演キム・ヘジャ、ウォンビン、チン・グ、ユン・ジェムン、チョン・ミソン、イ・ヨンソクほか。

「パラサイト半地下の家族」のポン・ジュノ監督が、「国民の母」とも呼ばれる人気女優のキム・ヘジャを主役に迎えて手がけたミステリー・タッチの作品。

 

韓国の地方の町。女子高校生が何者かに殺される事件が起き、薬草販売と無許可の鍼灸で生計を立てる母親(キム・ヘジャ)の息子で知的障害があるトジュン(ウォンビン)が事件の容疑者として逮捕される。

トジュンが犯人とされたのは、形ばかりの捜査の上、警察の誘導によるトジュンの自白と、トジュンの持ち物であるゴルフボールが犯行現場で発見されたからだったが、息子が殺人など犯すはずがないと信じる母は、必死になって警察や弁護士に追いすがる。しかし、その努力も無駄と知り、母親は自らの手で真犯人を探そうと行動を開始する・・・。

 

導入部から、なかなか凝ったつくりの作品。映像も見事だ。

タイトルからして、韓国語の「마더」とは英語では「mother」となり「母」を意味するが、「murder」とも読めて「殺人」を意味する。つまり原題は、「母」と「殺人」の2つの意味をかけ合わせたようなタイトルといえる。

 

それを象徴するのが映画の冒頭とラストの「踊り」だ。

映画が始まると、広大な草原の真ん中で母親役のキム・ヘジャが踊り出し、その踊りがいつまでも続く。

エンディングでも、事件の“解決”後、母と息子はバスツアーかなんかに参加し、走るバスの中で同乗した女性たちと一緒に母は踊り狂う。

踊りとはもともと、人が大自然の力に頼って生きていた時代、神や精霊への願い事のために生まれたといわれる。

大昔、原始宗教であるシャーマニズムにおいて、神と交信するのは母でもある女性の役割であり、女性シャーマンは狂ったように歌い踊って神と交信し、お告げを聞いた。

本作においても、息子に対する母親の深い、深すぎるほどの愛は、激しく踊ることで非日常の世界に入り込み、さらに愛をより深く、究極のものにし、やがて母は地獄行きをも厭(いと)わないようなモンスターになってしまったのだろうか。

 

音楽が秀逸。韓国の民族性とモダンさが融合したような不思議な響きだった。

気になったので調べてみたら、音楽を担当したのはイ・ビョンウというギタリストで作曲家、音楽監督。1965年生まれというから今年59歳。

11歳のときからギターを弾き始め、ソウル芸術専門大学、オーストリアのウィーン国立音楽大学クラシックギター専攻で首席卒業)、米国ジョーンズホプキンス大学校ピーボディ(Peabody)音楽院と、クラシックの道を歩む。その後、韓国で創作ミュージカルやテレビドラマなどで音楽を担当し、映画音楽をつくるようになる。ポン・ジュノ監督の映画では「グエムル・漢江の怪物」で音楽を担当している。

もともとクラシックのギタリストでありながらジャズやワールドミュージック、フォーク、ロックなどジャンルを超えたクロスオーバー的な作品づくりをしていて、本作においても、叙情性と力強い旋律とをあわせ持ったような曲が、物語をよりドラマチックにしている気がした。

 

ついでにその前に観た映画。

民放のCSで放送していたインド映画「RRR」。

2022年の作品。

原題「RRR」

監督・脚本S・S・ラージャマウリ、出演N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア、ラーム・チャラン、アジャイ・デーヴガン、アーリヤー・バット、レイ・スティーヴンソンほか。

インド映画史上最大の製作費7200万ドル(約97億円)をかけ、全世界で興行収入1億6000万ドル(約220億円)を超える大ヒットとなったというアクション大作。

 

1920年、イギリス植民地時代のインド。総督指揮下のイギリス軍にさらわれた少数民族ゴンド族の少女を救うため首都デリーにやってきたビーム(N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア)と、イギリスの圧政に抗して独立をめざす大義のためイギリス政府内に潜入し警察官となったラーマ(ラーム・チャラン)。

それぞれに熱い思いを胸に秘めた2人は敵対する立場にあったが、互いの素性を知らずに、運命に導かれるように出会い、無二の親友となる。

しかし、互いの素性を知った2人はやがて対決し、さらには友情か使命かの選択を迫られることに・・・。

上映時間3時間2分。間に休憩が挟まる長大な作品だが、全編クライマックスという感じでまるで長さを感じさせない。ド肝を抜くようなアクションあり、ダンスありで、エンターテインメントとして楽しめる映画だったが、インドの歴史をしっかりと踏まえてもいる。

イギリスのインド支配は18世紀の東インド会社を通じた植民地支配の時代から始まっている。19世紀にはイギリスのヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねるイギリス領インド帝国となり、イギリス人総督のもと大英帝国を支えた。

「インド人の命など、銃弾1発の価値もない」といい放つイギリス人総督のセリフがあったが、白人至上主義はアメリカのトランプ氏だけでなくかつてのイギリスでも当たり前のようになっていて、インド人はまるで虫けらのように扱われていた。

蹂躙され続けてきた民衆の怒りが一挙に爆発するような映画で、N・T・ラーマ・ラオ・ジュニア演じるビームとラーム・チャランが演じるラーマの2人の主人公には実在のモデルがいるという。

ひとりはゴンド族出身のコムラム・ビーム(1900年または1901年~1940年)であり、もうひとりはアッルーリ・シータラーマ・ラージュ(1897年または1898年~1924年)。どちらもインドの独立運動の英雄であり、どちらも実際には出会うことはなかったが、「2人がもし出会ったら?」という発想から生まれたフィクションが本作という。

「2人は同じころに生まれ、20代はじめに生まれ育った場所を離れ、3~4年後に戻ってから地元の人たちとともに独立運動で戦いました。もし2人が空白の期間に会い、友人になり、触発される間柄だったらどうなるか。実在の2人の空白期間の点と点をつないでフィクションとしてつくったのです」とラージャマウリ監督は語っている。

さらに、インドは紀元前2500年ごろにインダス川流域で栄えた古代インドの文明が生まれたところだけあって、人物造形にはインドの二大叙事詩がからんでいて、描かれているのはまさしく神話の世界だ。

ビームは「マハーバーラタ」に登場するビーマ王子であり、ラーマは明らかに「ラーマーヤナ」のラーマ王子だろう。ビームは無双の怪力で、ラーマは尽きることのない黄金の矢を次々と放ってイギリス兵をバッタバッタと倒していった。

本作は、出会ったことのない2人の革命家がもし出会っていたら?という物語だけでなく、神話の世界の2人のヒーローが出会い、ともに戦う活劇ファンタジーでもあった。

 

劇中の楽曲「ナートゥ・ナートゥ(Naatu Naatu)」がアカデミー賞でインド映画史上初となる歌曲賞を受賞。「ナートゥ(naatu)」とはテルグ語で「荒削りな」「素朴な」「田舎風の」といった意味だとか。

また、タイトルの「RRR」は、英語の「蜂起(Rise)」「咆哮(ほうこう、Roar)」「反乱(Revolt)」の頭文字を取って「RRR」となったとされるが、もともとは製作前の仮のタイトルであり、監督の「ラージャマウリ(Rajamouli)」、主役の「ラーム・チャラン(Ram Charan)」、「ラーマ・ラオ・ジュニア(Rama Rao)の3人のイニシャルから名づけられた仮タイトルがみんなから好評で、「いっそこのままで」というので本タイトルになったのだそうだ。

そんな遊び心こそが映画づくりには必要なのかもしれなくて、エンドロールで登場人物が次々と出てきてのダンスに、途中から突然、見たことのない人が出てきて踊り出すが、だれあろうラージャマウリ監督だった。