善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

清貧にして豊かな人生 映画「モリのいる場所」

東京・銀座の「銀座メゾンエルメス」10階にあるミニシアター「ル・ステュディオ」で映画「モリのいる場所」を観る。

2018年の作品。

監督・脚本・沖田修一、出演・山﨑努、樹木希林加瀬亮吉村界人光石研青木崇高吹越満池谷のぶえ、きたろう、林与一三上博史ほか。

 

1974年(昭和49年)の東京・豊島区千早。94歳となった画家の熊谷守一は、自宅からほとんど出ることがなく、夜はアトリエで数時間絵を描き、昼間はもっぱら自宅の庭ですごした。映画は、30年間にわたり自宅から出たことのないという熊谷守一ことモリのある一日を描く。

(映画のリーフレットより)

 

モリ(山崎努)にとっての庭は小宇宙であり、日々、地に寝転がり空をみつめ、その中で見える動植物の形態や生態に関心を持った。晩年の作品は、庭にやってきた鳥や昆虫、猫や庭に咲いていた花など、身近なものがモチーフとなった。

妻の秀子(樹木希林)と暮らす家には毎日のように来客が訪れる。モリを撮影することに情熱を傾ける若い写真家、モリに看板を描いてもらいたい温泉旅館の主人、隣に暮らす佐伯さん夫婦、近所の人々、さらには得体の知れない男まで。老若男女が集う熊谷家の茶の間はその日も、いつものようににぎやかだった・・・。

 

映画は、昭和天皇らしき人が美術展での熊谷守一の作品を見て、「何歳の子どもが描いた絵ですか?」と聞く場面から始まる。

熊谷守一は、日本の美術史においてフォービズムの画家と位置づけられる画家だそうだが、作風は徐々にシンプルになり、晩年は身近なものを明るい色彩と単純化されたかたちで描くようになった。

実業家・政治家の父を持ち裕福な家庭に生まれたが、極度の芸術家気質で貧乏生活を送り、「画壇の仙人」と呼ばれた。1967年(昭和42年)、87歳のとき文化勲章の内示を受けるも、「これ以上人が来てくれては困るし、袴を履くのがイヤだから」と断り、72年(昭和47年)の勲三等の叙勲も断っている。77年、97歳で没。

 

熊谷守一が毎日歩き、たたずんだ自宅の庭。そこに生きる生きものたちの生態系は、まさしく私が毎日歩く善福寺公園の生態系とそっくりだ。

豊島区も杉並区も同じ東京区部にあるから当然だが。

映画に出てきた虫たちは、アリ、セミの幼虫(歩いていた)、黒い大きなアゲハチョウ(クロアゲハかな?)、アオバハゴロモテントウムシ、ヤモリ(イモリ?)、シャクトリムシ、尻あげポーズのカマキリの幼虫などなど、いずれも見慣れたものばかりで、見ていてうれしくなる。

 

熊谷守一のアリについての発見がスゴイ。

「アリっていうのは、左の2番目の脚から歩き出すんだね」

毎日アリの行列を観察したことによる発見という。

「獨楽(どくらく) 熊谷守一の世界」という本の中で、彼はこう述べているのだ。

「地面に頰杖つきながら蟻の歩き方を幾年もみていてわかったんですが、蟻は左の2番目の足から歩き出す」

この“発見”については、昆虫の専門家も「あながち思い過ごしともいえない」といっているそうだ。

すべてのものには「重心」があり、歩くときも、重心をしっかり支えていないと転んでしまう。

昆虫は歩くとき、6本の脚のうち片側が1本、逆側は2本、合わせて3本の脚を着地させて歩く「三脚歩行」を行っている。

とまっているときは6本の脚が同時に着地しているが、第1歩を踏み出そうというとき、左側の脚は2番目の1本、右側の脚は1番目と3番目の2本、合計3本の脚を着地させて歩き始めるから、左の2本目から踏み出すというのは理に適っていることになり、熊谷守一の観察眼はなかなかのものだということがわかる。

 

彼は実は「理系男子」だったという。

作曲家の信時潔(のぶとききよし)とは30代からの友人で、ひところは絵を描くことをしないで、信時の資料を元に音の周波数の計算に熱中したことがあったという。また、彼のつけていた雑記帳には色彩や光学に関する専門的なメモが残っていて、科学的な視点からの絵画制作を行っていたことがわかり、彼は「理系の画家」でもあった。

観察眼も鋭くて、普通なら数分で歩けるところを数時間かけて巡ったというから、散歩の途中に腰を下ろしては、目に入るものをじっくりと時間をかけて観察していたのだろう。

 

熊谷守一が仙人のように暮らした家は、今は「豊島区立熊谷守一美術館」となっている。

館長さんは次女で画家の熊谷榧(かや)さんだったが、今年2月に94歳で亡くなられている。父親同様、長寿だった。

ぜひとも行きたい美術館だ。

 

映画のあとは、同じビルの8階で開催中のアート展を観る。

クリスチャン・ヒダカ(1977年千葉県野田市生まれ、イギリス・ロンドン在住)とタケシ・ムラタ(1974年アメリカ・シカゴ生まれ、ロサンゼルス在住)の「訪問者」と題する二人展。

 

ヒダカとムラタは、日本の血をひきながらも、英語、米語圏の文化の中で育ったという。それゆえ、2人のまなざしは日本に住み暮らす人たちの文化や言語とはある一定の距離がある。ということは、タイトルの「訪問者」とは、日本にやってきた彼ら2人をいうのだろうか、それとも彼らのアートを見に来たわれわれが訪問者なのだろうか。おそらくその両方だろう。

 

クリスチャン・ヒダカの絵画作品。

ポール・デルヴォールネ・マグリットを彷彿させるような油彩テンペラの作品。

 

タケシ・ムラタはデジタル・メディアを用いた映像作品や立体作品で独自のリアリズムを追求しているという。

映画とアート作品を観て、銀ブラして帰る。