日帰りの仕事で仙台へ。ついでに美術館、夜は和食の店でイッパイ。
午前中に秋田行きの「こまち」と連結した新青森行き「はやぶさ」で仙台へ。
駅構内にある「牛タン通り・すし通り」で鮨のランチ。
コロナ禍で、牛タン屋はそこそこ客が入っていたが、鮨屋はどこもガラガラ。経営は大丈夫なんだろうかと心配になる(一軒だけカウンターで立ち食いの店だけ満席、というか満立?だった)。
たまたま東北大学片平キャンパスの史料館前を通ったら、館内に魯迅記念展示室があり、魯迅の足跡を記した資料が展示されているというので拝見。
魯迅は中国の小説家であり思想家。本名は周樹人。日本に留学し、文学に目覚める。「狂人日記」「阿Q正伝」などの小説で知られるが、革命運動にも加わり大きな役割を果たした。
彼は医学の道を志して国費留学生として東北大学の前身である「仙台医学専門学校」に入学する。仙台での生活はたった1年半にすぎないが、仙台にいたときに文学の道を進むことを決意している。
魯迅がのちに書いた短編小説「藤野先生」には、異郷の地仙台での学生生活、文学への転向を決意する彼の心の動きが、ひとりの教師との交流を素材として綴られている。
魯迅(周樹人)の入学願書(復元資料)。
22歳のときだったようだ。
「藤野先生」こと藤野厳九郎は福井県出身の解剖学者で教授をしていたが、魯迅が入学した当時は30歳。ちょうど教授になったばかりで、一年生の必修科目として藤野先生から解剖学の講義を受けた。
藤野先生が留学生の魯迅を気遣って添削し続けた魯迅の講義ノート(複製。原資料は北京の魯迅博物館所蔵)。
講義で抜けてしまった箇所だけでなく、文法の誤りまで丁寧に添削されたノートに心を打たれた魯迅は、藤野先生を恩師と仰ぎ、のちに留学時代のエピソードを綴った短編小説「藤野先生」を発表している。
小説「藤野先生」より。
「私の講義は、筆記できますか」と彼は尋ねた。
「少しできます」
「持ってきて見せなさい」
私は筆記したノートを差出した。彼は、受け取って、一、二日してから返してくれた。そして、今後毎週持ってきてみせるように、と言った。持ち帰って開いてみたとき、私はびっくりした。そして同時に、ある種の不安と感激とに襲われた。私のノートは、はじめから終わりまで、全部朱筆で添削してあった。(「藤野先生」より)
「肉体ではなく、精神の改造こそが中国の人々にとって必要」との思いを強め、仙台医専を退学することにした魯迅。別れにあたって藤野先生が魯迅に手渡した「惜別」の文字。
魯迅の展示室の隣には東北大学の歴史資料がいろいろ展示されていて、その中の1つ。
東北大学の前身でもある旧制第二高等学校の校章は「蜂」だったという。
蜂章は「勤勉」を意味し、校章にも図案化され二高のシンボルとなったというが、「勤勉」ということからしても描かれているのはミツバチであるに違いない。
校旗の蜂章旗は二高の魂として火災の際には最優先で持ち出すべき物とされたという。
仕事のあと、時間があったので地下鉄・国際センター駅近くの宮城県美術館でコレクション展示を観る。
20世紀美術を代表する画家、クレーやカンディンスキーの作品もあったが、名前を知らない日本人作家の作品で気になったもののいくつか。
大沼かねよ(1905~1939)「三人」(1931)
大沼かねよは宮城県栗駒町に下駄屋の娘として生まれる。幼いころから聡明で、宮城県女子師範学校を経て、東京女子高等師範学校図画専修科に進学。卒業後、岩手県や東京・浅草で教職に就く。1930年から帝展に大作「家族」「野良」「遊楽」、槐樹展に「三人」などを出品して注目されたが、肺炎で早世。34歳だったという。
松本竣介(1912~1948)「郊外」(1937)
同「画家の像」(1941)
東京で生まれるが、父の郷里である岩手県で育つ。盛岡中(現盛岡一高)を出て1929年上京。1935年二科展初入選、以後連続出品するなど活躍したが、36歳という若さで亡くなる。
見ていて気になったけれど名前を知らなかった作家は、帰宅後調べたらどの人も早世の人だった・・・。
宮城県美術館には宮城県生まれの彫刻家・佐藤忠良記念館が併設されていて、代表作を中心に初期から晩年までの作品を紹介している。
代表作の1つ、群馬の人。
彼の娘で女優の佐藤オリエがモデルとなった作品もあると思うのだが・・・。
夕方5時半すぎ、仙台駅東口近くの和食の店「George (ジョージ)」で仙台の味を楽しむ。
カウンターと半個室が1つ。
カウンターが立派で、秋田杉の一枚板という。
「東北の多彩な旬を贅沢に、おいしいお酒と一緒に堪能してほしい」と、4年ほど前にオープンした店という。
どれもおいしかったが、どれもしっかりと“仕事”がしてある。
たとえば刺身は、ただ鮮度のいいものを提供するというだけでなく、寝かせたり〆めたり、丁寧な仕込みで旨味を引き出している。
コース料理をお願いしたが、先付けから始まってデザートまで料理の数々。
店主はソムリエや利き酒師の資格を持ち、店内にはワインセラーも完備しているというが、飲んだお酒は日本酒で、「伯楽星」「陸奥八仙」「而今」「角右衛門」。
料理がおいしくてつい飲みすぎた。
21時前出発の東京行き「はやぶさ」で帰京。