マイケル・ロボサム「天使と嘘」(越前敏弥訳、上下巻、ハヤカワ・ミステリ文庫)を読む。
2014年に発表した「生か、死か」に続き、19年に発表した本作で20年に2度目の英国推理作家協会最優秀長編賞(ゴールド・ダガー)を受賞。同年のアメリカ探偵作家クラブ賞(エドガー賞)の長編賞にもノミネート。邦訳は今年6月出版。
原題は「GOOD GIRL,BAD GIRL」。
イギリス・ノッティンガムで臨床心理士をしているサイラスは、かつて異様な殺人現場に何カ月も隠れていて発見された17歳の少女と児童養護施設で出会う。大学の同窓生でもある施設の職員から「ぜひ会って、あの子を助けてほしい」と頼まれたからだが、イーヴィと呼ばれる彼女は、人がついた嘘を見破るという特殊な能力を持っていた。
折しも、スケート女子チャンピオンが惨殺される事件が発生。将来を期待されていた選手にいったい何が起きたのか? 法心理学の専門家として捜査に加わったサイラスは、イーヴィとともに事件の真相を追う・・・。
心に深い傷を抱えているイーヴィだったが、サイラスもまた、子どものころ、自分の兄が両親と妹を殺すという悲惨な過去を背負っている。
サイラスは、身寄りもなく施設に暮らす彼女を救おうと面談を繰り返し、身許引受人となって一緒に暮らすようになるが、イーヴィはなかなか自分の心の中を明かそうとしない。
2人の“心理戦”が続く中で起こった殺人事件の顛末もおもしろいが、2人が衝突を繰り返しながらも互いに理解し合うようになっていく過程が、なかなか読ませる。
物語の最後の方で、作者は「イーヴィはほんとうに自由になれるだろうか」と問いかけ、川に落ちて滝へ向かって流される男が出てくる昔話を紹介する。それはこんな話だ。
流される男を救おうと、釣り人が竿を差し出して「つかまれ、引っ張りあげてやる」というが、男は「だいじょうぶ、神さまが助けてくれる」と告げる。こんどは、ハイキングをしている人が倒れた丸太から身を乗り出して「この手をつかめ、持ち上げてやる」というが、男は手を振って「神さまが助けてくれる」と告げる。最後に、頭上をまわるヘリコプターから搭乗員が縄梯子を投げる。流される男はそれには目もくれずに「心配無用、神さまが助けてくれる」と告げる。しばらくして男は滝の向こうに転落し、下の岩場で非業の死をとげる。
その後、天国の門で男は神に「わたしが流されるのを見ていらっしゃいましたか。どうして助けてくださらなかったんですか」と聞く。すると、神はこう答える。「三度助けようとしたのに、おまえはことわったではないか」
そしてこの話を作者はこう結ぶのだ。
「イーヴィはひとりでは助からない」
それは、救われる人だけでなく、救おうとする人にも当てはまるのではないだろうか。
イーヴィは人の嘘を見抜けるといっても超能力者ではない。極限の状況に置かれる中で生きるために身につけた特殊な感覚といえるかもしれない。
サイラスとイーヴィの関係は、どこかスティーグ・ラーソンの「ミレニアム」に登場するミカエルとリスベットの関係に似ているが、本作はシリーズ第1弾で、第2弾が来年刊行予定だそうだから、続きを期待するとしよう。