善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

マイクル・コナリー 汚名

マイクル・コナリー「汚名」(訳・古沢嘉通講談社文庫 上下巻)を読む。

 

ロサンゼルス市警察の刑事を定年でやめていったんは私立探偵になるも、すぐにロス市に囲まれた小さな自治体サンフェルナンド市警察のパートタイム刑事になった65歳のハリー・ボッシュシリーズの最新作。

ボッシュにプラスして彼の異母弟の弁護士ミッキー・ハラーも登場するハードボイルド&リーガルサスペンス小説。息もつかせぬ展開で今回も一気読み。

 

原題は「Two Kinds of Truth」。和訳すれば「二種類の真実」という意味だが、ボッシュの言によれば、この世には二種類の真実があり、ひとつは一人の人間の人生と使命に関してけっして変わらぬ原則である真実。もうひとつは、政治家やペテン師や悪徳弁護士とその顧客たちの、目的に適うように折り曲げ加工できる柔軟な真実だという。

本書の展開はまさにそのとおりで、30年ほど前に逮捕し、服役中の死刑囚について新たな証拠が出たとして再審が開かれる見込みだと聞かされ、ボッシュに証拠捏造の嫌疑が降りかかるが、実はそこには彼を陥れようとする「偽りの真実=陰謀」があることに気づく。

一方、薬局経営の親子が銃殺されるという事件が所轄で発生。薬局の父親は永年、合成麻薬をめぐって暗躍する犯罪者集団の片棒を担がされていたのだが、息子がその不正に気づき手を引こうとして、犯罪者集団に処刑されたのだった。

怒りに燃えたボッシュは親玉逮捕の証拠を握るため薬物中毒者を装って潜入捜査を行うことになるが、そこで犯罪者集団によって薬物まみれになり人生をズタズタにされた女性と知り合い、何とか彼女を救おうと人生をかけて守り通したい真実のために戦う。

 

本書を読んでるとアメリカについていろいろ知ることもできて楽しい。

たとえばボッシュがダイナーと呼ばれるレストランで朝食をとるシーンがあるが、そこでフレンチトーストを注文してカウンターに20ドルを置いて店を出ている。

20ドルといったら日本円で2000円以上。朝メシがそんなに高いのかと思ってしまう。

 

また、昔の警官仲間がボッシュの家に訪ねてきて、バーボンを飲み交わす下りでは、ボッシュが人からのもらい物という未開封のバーボンの封を切ってオンザロックで飲もうとすると、かつての相棒は「ちょっと待った」と止める。

「ハリー、それが何なのか知ってるのか? パピー・ヴァン・ウィンクルに氷を入れるもんじゃない」

その相棒によれば、封を破らないままのパピー・ヴァン・ウィンクルなら車を買えたかもしれなかったのに、という。

つまりそれほど値が張る超高級バーボンらしい。

バーボンで高い酒といったら「ワイルドターキー」か「ジャックダニエル」ぐらいしか知らないが(もちろんそれは昔の話で今はだいぶ安くなってるが)、当然ながら本場アメリカではそれよりさらに高級なのがあるらしい。

何だか飲んでみたくなった。

 

ボッシュが異母弟のミッキ・ハラーと会う約束をするときの会話。

ボッシュ「ああ、あそこのカウンターで食べるのが好きだ」

ハラー「そうだろう、あんたはカウンターにいるタイプだ。ホッパーのあの絵でひとりで座っているやつみたいに」

ホッパーの絵というのは、20世紀のアメリカ絵画を代表する画家エドワード・ホッパーの「ナイトホークス」という絵画作品で、深夜のカウンターのある小さな食堂にいる人々を描いていて「夜更かしする人々」とも呼ばれる。

ホッパーの絵がいかに愛されているか、この会話でわかる。

 

日本だったら、「そうだろうあんたは岡本太郎太陽の塔の面差しにちょっと似てるよ」となるか? だいぶ違うか。 

 

ボッシュには離れた場所で大学生として暮らしているマディという一人娘がいるが、心配して飛んできた娘を事件解決後に送り出すときのシーン。

「さよなら、パパ」と別れを惜しむ娘にボッシュの言葉。

「さよなら、スウィーティー」。

親しい相手に(いや、ときとして親しくなくても)「Sweetie」とか「honey」とか言うのはアメリカでは普通のことらしいが、なかなかいいね。