善福寺公園めぐり

善福寺公園を散歩しての発見や、旅や観劇、ワインの話など

きのうのワイン+映画「アイガー北壁」

アルゼンチンの赤ワイン「アルトゥーラ・マルベック(ALTURA MALBEC)2018」

写真はこのあと焼き肉。f:id:macchi105:20200918160619j:plain

ワイナリーはボデガ・ノートンアンデス山脈の麓「太陽とワインの州」といわれるメンドーサ地区で「アルゼンチン最高品質のワインを造る」ことをモットーにワイン造りを行っているんだとか。

標高1300mのロス・チャカイェスの畑で栽培される平均樹齢20年の樹から採れたマルベックを100%使用。

アルトゥーラとは日本語で「高さ」という意味だそうで、文字通り標高の高い場所に位置する畑で採れたブドウを使用したワイン。

余韻の残る味わい。

 

ワインの友で観たのは民放のBSで放送していたドイツ・オーストリア・スイス合作の映画「アイガー北壁」。

2008年の作品。

監督フィリップ・シュテルツェル、出演ベンノ・フユルマン、フロリアン・カールス、ヨハンナ・ヴォカレク、ウルリッヒ・トゥクルほか。

 

真に迫るとはこのこと。見ていくうちにワインを楽しむどころじゃなくなって、サッサとワインと料理を堪能。食べ終わってからジックリと観た。

 

前人未踏のアルプス連峰の難所・アイガー北壁の初登攀競争をめぐる実話にもとづいた映画。

ナチス政権下の1936年、ベルリン・オリンピック直前の夏。ナチス政権は国家の優越性を世界に示すため、ドイツ人によるアイガー北壁初登攀を果たそうとした。国家の期待を背負い2人のドイツ人クライマーが北壁に挑むが(そのすぐあとに、当時ドイツの統治下にあったオーストリア人2人も続く)、彼らを待ち受けていたのは過酷な運命だった・・・。

 

アイガー北壁の初登攀は1938年7月、ドイツ人とオーストリア人の4人によってなされている。初登攀までに合計9人のクライマーがこの山で命を落としたといわれるが、1936年に挑戦した男たちを主人公にしたこの映画は、登攀に失敗し、悲劇に見舞われた実話を描いているのだ。

 

ドイツ人登山家はトニー・クルツ(ベンノ・フユルマン)とアンディ・ヒンターシュトイサー(フロリアン・カールス)。幼なじみで、ともに23歳の若さ。2人は胸だったか肩だったかにエーデルワイスの記章をつけていた。ということは山岳兵として知られる山岳猟兵部隊の一員ということで、彼らのアイガー北壁挑戦は国家的使命として行われたのだろう。

本来、登山とは、楽しみ、あるいは自らの限界に挑むスポーツのはずだ。そこに国家が絡むといい結果は生まない。

オリンピックのメダル争いがまさにそうだが、本作でも、1カ月後にベルリン・オリンピックの開幕を控え、ヒトラーは初登攀成功者には金メダルを授与すると宣言。本来は楽しむためのスポーツが国家の威信をかけた一番乗り競争へと変質していく。

 

映画の結末があまりに悲しい。

あとからやってきたオーストリア隊の1人が落石でけがをしたため、登頂をあきらめて4人とも下山を決めるが、吹雪に見舞われて途中でルートを失い、アンディは仲間のために自らザイルを切るなどしてトニーを除く3人は谷底へ転落していく。

残ったトニーはザイルで下降していく。しかし、救助隊まであとわずか数メートルというところでザイルが足りなくなり、宙ずりのままとなる。

カラビナにザイルの結び目がひっかかっているので、それを外せばザイルは伸びて救助隊の救援の手も届く。だが、凍った結び目は固く、凍傷のため指は十分に動かず、体力も消耗しきっていて自力で結び目を外すことができずについに力尽きる。

宙ずりのままの彼の遺体は収容できずに長い間そのままにされ、ふもとから双眼鏡で見ることができたという。

遺体収容は数年後のことだった。

 

ちなみに日本人によるアイガー北壁初登攀は1965年のことで、2人の日本人登山家を実名で描いた「アイガー北壁」という小説を新田次郎が書いている。

日本人女性が初めて登攀に成功したのは1969年、5人の男性とともに登った今井通子さんだった。